「わし、ボケナスのアホ全部殺すけえ」 通行人をハンマーで殴り、包丁で突き刺して8名殺傷「池袋通り魔事件」の一部始終 死刑は執行されないまま「26年」
精神的な鬱屈
映画化もされた表題作の主人公は、まさに新聞販売店の店員。予備校に通いながら新聞配達をする少年の鬱屈した生活と現代社会への言い知れぬ憎悪、その捩れた感情の爆発を描いた傑作だが、造田が引用していたのは、たとえば、こんなクダリだという。
〈ああ救けてください、このままだとぼくは自分で自分を殺してしまいます、ああ、ぼくを引きあげてください、とのままだとぼくは死のほうへずるずるおちていきます〉
〈絶望だ、ぜつぼうだ、希望など、この生活の中にはひとかけらもない〉
捜査関係者が続ける。
「これをそのまま引用しているわけじゃないが、ほぼ同じ形で走り書きしている。語尾は中国地方の方言に置き換えているところも多いし、原文をあれこれいじっているところもあるが、この小説を元にしていることは間違いない」
あるいは、こんなクダリ。
〈おれはさ、貧乏人をほんとうに嫌いなんだ(中略)あいつらに情なんぞいらないさ、マシンガンでもぶっぱなしてやればいいんだ〉
〈あんまり有頂天になって生きてもらっては困るのだよ、世間にはおまえたちが忘れてしまったものがいっぱいあって、いつでもおまえたちの寝首をかこうとしているのだからな〉
「今のところ、奴がこの本を読むようになった経緯は分らない。ただ、前に新聞販売所にいた時から、この本を読んでいた形跡がある。となると年齢も近いし、同じ新聞配達ということで感化され易かったのではないか。この作品の主人公が抱えていた精神的な鬱屈や、置かれた環境からくる焦燥や蹉跌に共鳴し、バイブルにしていた可能性は高いと言わざるを得ないね」
少なくとも、突如、狂気に走っての犯行ではなく、思いに思い詰めた上での犯行だったことが窺われるのだ。
いつか見返しちゃろう
さて、福山にいる実兄は、
「弟と福山で暮らしたのは短い期間で、すぐに出て行ってしまいました。その後は、頻繁に連絡もなく、どこにいるかも知らなかったのです」
と言うのだが、先の親族の1人はこう語った。
「博は突然、両親から見捨てられ、親の愛情や家庭の温かさを信じられなくなってしまったんですよ。世の中なんて面白くない、朗らかに楽しそうにしている奴らをいつか見返しちゃろうとずっと思っていたんでしょう。それがこんな形で爆発したのだとしたら、本当に悲しいことです」
***
この後に開かれた公判で、造田には死刑判決が下された。が、現在に至るまで造田は拘置所で命を繋ぎ続けている。なぜ死刑は執行されないのか。独居房での造田の生活ぶりは。そして、執行に反対している「団体」とは――。【後編】で詳述する。
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