「わし、ボケナスのアホ全部殺すけえ」 通行人をハンマーで殴り、包丁で突き刺して8名殺傷「池袋通り魔事件」の一部始終 死刑は執行されないまま「26年」

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真っ暗な家でカップラーメン

「父親が肝臓を悪くして、大工の仕事が出来なくなってしまったのです」

 と、親族の1人は言う。

「実は、その前から母親がパチンコや競艇を始めて、月に50万円はあった父親の給料をつぎ込んでいた。ところが、仕事をやめた父親までもがパチンコに行くようになり、夫婦揃って朝から晩までパチンコ屋に入り浸り。だが、仕事もしていないのだから金が続くはずもない。やがてパチンコ仲間や親戚から借金を重ねるようになり、サラ金にまで手を出して、借金は雪だるま式に増えていったのです」

 その額、ざっと4000万円。やがて、自宅にも借金取りが訪れるようになったが、

「中にはヤクザみたいな人もいて、一日中張っている。両親は家に帰れず、車で寝泊まりするようになりました。博は学校にも行けず、夜も電気さえ点けられない。最初は両親が深夜に帰って、食事を渡していたが、やがてそれも途絶えた。それで博は、真っ暗な家でカップラーメンをすすっているような生活を1ヵ月ほど続けていたのです」

 当時、大学生だった兄が異変に気づき、実家に帰った時には、すでに両親は行方知れずになっていた。結局、造田は兄を頼って広島県福山市に行くよりなかったのだ。

高校を自主退学

「造田君は2年生の終わりに自主退学しています」

 と、倉敷天城高校の校長。

「学校を辞める前に担任と話した時には、大学に行きたいので大学検定を受けて進学すると言っていたそうです」

 が、思いは叶わなかったということか。以来、職を転々とする生活が始まったのだ。

「広島県の塗装会社を皮切りに、兵庫県の照明器具工場、愛知県の自動車組立て工場などで働いているが、どれも長続きしていない。渡米し、教会のボランティアの仕事をしていたこともあるようです」

 と社会部記者。平成9年には、東京・世田谷区の朝日新聞販売店に勤めていたこともあるのだが、その造田が最後の職場となった東京・足立区の読売新聞販売店に就職したのが今年4月末。9月4日に無断欠勤するまで、そこで新聞配達をしていた。

「その後は赤坂のカプセルホテルに宿泊し、池袋のゲームセンターに通い、6日には、凶器となった包丁やハンマーを購入しています。犯行当日も午前10時に池袋に来て、ゲームセンターに行ったり、サンシャインのビルに昇ったりした後、現場に現れたようです」(先の社会部記者)

一冊の本

 さて、問題は動機である。造田の最後の住居となった足立区の間借り部屋からは、

〈わし、ボケナスのアホ全部殺すけえの〉

 などと書かれたメモが発見されているが、警察が押収したのはそれだけではない。

「実は、奴が以前からかなり入れ込んでいたと思われる一冊の本があったんだよ」

 と、捜査関係者が言う。

「机の上に放り出されたり、壁に貼られたりしていた二十数枚の汚い手書きのメモの中には、その本の中からの引用がかなりあったんだ」

 その本とは、作家・中上健次の処女小説集『十九歳の地図』の単行本である。

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