「NHKらしさ」「ドラマチックな事実」から遠く離れて…YouTubeで「私語り」が氾濫する時代に「昭和ノンフィクション」に何を学ぶべきか

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 昨今、政治家がYouTube番組に出演し、“言いたいことを言う”という形式のコンテンツが流行している。そうした「私語り」が増えていく中で、ノンフィクションライターの石戸諭氏は「昭和のノンフィクション」にこそ学びがあると指摘する。石戸氏に昭和の名作3冊を挙げてもらい、話を聞いた。【前後編の前編】

※新潮社のYouTube番組「イノベーション読書」で配信された「【戦後80年】この夏は『昭和の名作文庫』を読む!『私語り』が氾濫する時代にノンフィクションは何を語るべきか 石戸諭さんに聞く」の内容を再構成しました。

NHKらしさとは違う

 日本のノンフィクションというジャンルがいつ立ち上がったか。調べていけばもっと古くまで遡ることもできますが、さしあたり1960年代~80年代が最も興味深い時期と言えます。出版のジャンルとして、より広く言うと文芸のジャンルとして新しく立ち上がり、いろんな人たちが参入してきて、そして数々の名作が生まれた時期にあたるのです。

 この8月に刊行した『昭和ノンフィクション名作選』(インターナショナル新書)で、昭和100年、戦後80年という節目に戦後のノンフィクションの名作と呼ばれるものを改めて見直してみました。今回は、その中から特に注目すべき3冊を取り上げて、なぜこれらの作品がいま読まれるべきなのかを考えてみたいと思います。

 まず一冊目は柳田邦男さんの『マッハの恐怖』です。

 柳田さんはNHK出身で、この作品はNHKの社会部記者時代に書かれたものです。1966年に東京湾に墜落したボーイング727型機の事故をはじめ、当時多発した3件の飛行機事故を扱ったノンフィクションで、1972年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。NHKの記者が書いたものでありながら、いかにもNHKらしくないところにこの作品の面白さがあります。私たちがイメージするNHKらしいニュースの伝え方──たとえばアナウンサーが登場して、硬い表情で事実を淡々と告げていくというスタイル──とは全く違うのです。

 より取材対象に肉薄し、自分が見てきた話が臨場感あふれる筆致で書かれており、NHK内での取材のやり取りまで書かれています。当時の柳田さんは、社会部に上がってきたばかりの遊軍記者でした。遊軍というのは特定の担当を持たないセクションで、そこで起きた飛行機事故をたまたま取材することになったのです。

「歩いて計測しろ」

 つまり、飛行機にずっと詳しかったとか、航空関係を担当していたというわけではなく、一人の若い記者がたまたま担当することになってしまい、その背景にのめり込んでいく過程が描かれている。実は柳田さんが後にNHKで遊軍のキャップになった時に、その下についたのがジャーナリストの木村太郎さんでした。木村さんと仕事で一緒になったとき、当時の思い出を聞いたことがあります。ある事故現場に出された時に、その状況を上司である柳田さんに報告すると、「まず破片がどこまで飛び散ったか現場を1歩1歩歩いて計測しろ」と言われたそうです。現場で、たとえば何かが飛び散ったとすると、どのぐらいの距離飛び散ったのか。スマホで測ることもできない時代だから、とりあえずお前の歩数と歩幅で測れと言われ、歩きながら現場の詳細な描写を取ってくるということをやっていたのです。

 こうした現場感覚を失わない記者の手法が、『マッハの恐怖』には色濃く表れています。

 柳田さんは無機質なニュースと、ともすれば仰々しくなってしまう文学的な描写の間に、新しい表現の可能性を見出そうとしたのでしょう。当時のノンフィクション作品の中で「実録小説」が一つのジャンルとして受けていた。これも「間」にありますが、それは記者からすると中途半端なもので、そのシーンはドキュメント=実録なのか、ノベル=小説なのかがわからないわけです。何を創作したかが示されることもありません。

 一方、ジャーナリスティックな問題意識を抱えながら、それを単なるニュースの報道とは違うものに置き換えていこうとする『マッハの恐怖』はもっと新しい「中間」を打ち出そうとした結果にある作品なのです。

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