「憮然として」の本来の意味は「ムッとして」ではなかった…校閲者が考える「意味を誤解した俗用表現」が生まれる理由

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語感によって意味は移り変わる?

 それにしても、なぜこのような「意味を誤解して生じた俗用」が、多くの人に使われるようになり、今ではむしろ多数派を占めているのでしょうか。

 その理由は、シンプルに「語感」だと私は思います。

 以前この連載で紹介した「うがった見方」という言葉の俗用表現も、「うが」という言葉の並びから生まれたものではないかと推測しました。

 今回の「ぶぜん」も、濁音が2連続。文字の並びからしても、呆然としているというよりはムスッと、怒っている雰囲気が出ていないでしょうか。

 日本語は世界的に見ても、オノマトペ(擬音語・擬態語。ごろごろ、さらさら……など)が豊かな言語だそうです。「ぶぜん」が「怒り」と結びつくのも、この「語感」と切り離せない何かがあると、私は(専門家ではありませんが)現場で実感しています。

 私も、編集者から無理難題を突き付けられた時、憮然としないように気を付けなければ……。

甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya)
1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新潮新書等を担当し、現在は週刊誌の校閲を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。

デイリー新潮編集部

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