「憮然として」の本来の意味は「ムッとして」ではなかった…校閲者が考える「意味を誤解した俗用表現」が生まれる理由

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辞書をどんどん引いていく

「広辞苑」以外の辞書も引いてみます。今までの連載で取り上げた「破天荒」「圧巻」など、判断が分かれやすい語ではあまり新しい意味が載っていなかった「明鏡国語辞典 第3版」では、

〈落胆したりあきれたりして、呆然とするさま。(中略)「憮」はがっかりする意。〔使い方〕俗にむっとする意にも使う。「憮然として反論する」〉

 と、「憮然」については俗用として新しい意味も載せています。今から22年前(平成15年)の国の調査から大逆転現象が起こっていたので、さすがに載せたのでしょうか。

 ただ、「岩波国語辞典 第8版」においては、新しい意味は載っていませんでした。〈意外な成り行きに驚いたり自分の力が及ばなかったりで、ぼうっとすること。『憮』は空しい気持ち〉とあります。「日本国語大辞典 第2版」でも同様でした。

「新明解国語辞典 第8版」では「俗」の表記とともに新しい意味が載っていました。

「サンコクさん」の見解は

 また、出色なのはやはり、新語・新表現に強い「三省堂国語辞典 第8版」(サンコクさん)で、

〈1.どうにもならずに、力を落とすようす。2.意外なできごとに、ぼうぜんとするようす。3.むっとしたようす。【注】古くからの用法は1と2。現在最も多く目にするのは3で、戦後に広まった〉

 とあります。この連載を以前からお読みくださっている方なら「三省堂国語辞典」の特徴がもうお分かりかと思いますが、こうした「校閲者が判断に迷う表現」について、しっかりと解説を加えていることが多い辞書で、本当に頼りになります。一家に一冊「三省堂」です(私は決して同社の回し者ではありません、念のため)。

 あまり大きな声では言えないことですが、もしこの連載を読んでくださっている作家さんがいらっしゃったら、「○○という辞書にはこう書いてあるんですけど……」と校閲ゲラに“逆指摘“してみるのも良いかもしれません。

 校閲者は神様ではありませんから、ゲラ上で「議論」しても良いと私は思っています(ただし、ゲラに書き込みをしているのは校閲者だけではなく、当然、編集者も書き込んでいることはご了解を……)。

 また、同じ三省堂の「現代新国語辞典 第7版」(高校生向けの辞書)では、

 〈[意味を誤解して生じた俗用で]むっとしたようす〉

 との記述がありました。

 複数の辞書を見ていくと、その語がいまどんな状況にあるのか、少しずつ見えてくるような気がします。「憮然」という言葉一つ取っても、辞書によっての扱いがガラッと変わりますね。それはすなわち、辞書編纂者、国語学者の方の考え方も十人十色であるということでしょう。

 では、校閲者はどうするか。これも毎度のお決まりですが、「言葉は移り変わるもの」。例外は多々ありますが、俗用表現を認めていく姿勢も必要です。

 もし「もともとの意味」のほうで校閲疑問を出そうとするのであれば、「岩波国語辞典では~」とか「日本国語大辞典では~」など、典拠となる辞書の名前をゲラに書くか、最低限「本来の意味は~」と明記するのが親切でしょう。

 逆に、「新しい意味」でOKとするなら、「三省堂ではOK」「明鏡では俗用として認めている」など解説を加えるのも良いかと思います。ただ、ゲラ上に解説を長く書くと何が重要なことなのかわかりにくくなるので、あくまで簡潔に……。

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