亡くなったクリエイターの功績を後世に伝えるには…「京アニ放火殺人」から6年で“実名報道”の意味を改めて考える

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議論が巻き起こった被害者の“実名報道”の是非

 36人の尊い命が失われた「京都アニメーション放火殺人事件」の発生から、今年7月18日で6年がたった。事件を起こした青葉真司被告の死刑は確定したが、この事件がアニメ業界に与えた影響は極めて大きかった。警備体制を厳重にしたアニメ会社が相次いだうえ、部外者が入り込めないビルに移転したり、なかにはスタジオの住所を明かさなくなったりしたケースまである。

 この事件が発生した直後、大きな議論が巻き起こったのは被害者の“実名報道”の是非であった。ネット世論は“実名報道をするべきではない”という論調に傾き、実名の公表を訴えるマスコミを批判する声が大きかった。事件発生の翌月、共同通信大阪支社がXで犠牲者の家族や親友に向けて取材や情報提供を呼び掛けたところ、4000件を超えるコメントが寄せられ、その大半が報道姿勢を批判するものだった。

「腐肉漁りでしか記事を作れないその無様な有方は軽蔑に値する」
「文章から、事件を知り伝えることの『将来についての社会的な意義』が全く読み取れません。どう読んでも『過去に対する好奇心』から知りたいとしか読めない文章です」
「取材は控えてくれという遺族からの要望を無視する気ですか共同通信さんは? ずいぶんと身勝手な解釈で遺族の気持ちをえぐるんですね」
「あんたらの出る幕じゃねえんだ。四十九日も済んでねえんだぞ」
「で、そうやってもっともらしいことをいいながら遺族の感情を踏みにじって金儲けするわけですね」

 ……これらはごく一部のコメントの抜粋だが、強い言葉で辛辣な批判が書き込まれている。4000件以上のコメントのなかに、共同通信に賛同を示すものはほとんどなかったと言っていい。

 なかにはよほどマスコミが憎いのか、「そんなに遺族の気持ちが知りたいなら、自分の家族にガソリンぶっかけて焼いてみりゃ良いんじゃないですかね」「君らの会社もガソリンで焼かれたら同じ気持ちを共有出来るのかな? その時になれば他の会社が根掘り葉掘り取材して晒し者にしてくれる」などと、感情的かつ攻撃的なコメントもあった。

犠牲者はただの会社員ではない

 ところで、ニュースでは「36名の社員が亡くなった」と報じられていたように、世間一般の人々も“普通の会社員が亡くなった”と考えている人が大半である。筆者が同業者に話を聞くと、マスコミの間でもそのような意識を持っている人が少なくなかった(そもそも、京アニというアニメ会社そのものを知らない人も多かった)。しかし、実態はまったく異なるのである。京アニの社員はただの会社員ではないのだ。

 京アニの社員は一人一人がクリエイターであり、アーティストであった。なかには日本を代表すると言っても過言ではない、トップレベルのアニメーターが何人も在籍していた。その仕事が世界的に評価されていた社員も少なくなかった。そんなクリエイターの多くが事件で犠牲になってしまったのである。これは日本文化にとって甚大な損失ではないだろうか。

 だからこそ、筆者はこの事件に関しては実名報道が必要であったと考えている。例えば、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「響け!ユーフォニアム」でキャラクターデザインや総作画監督を務めた池田晶子氏、「らき☆すた」や「小林さんちのメイドラゴン」で監督を務めた武本康弘氏などは、犠牲者のなかでも特に高名な人物である。ほかにも、西屋太志氏、木上益治氏、高橋博行氏など、業界で広く名前が知られたクリエイターが犠牲になった。

 池田氏は、“京アニクオリティー”と呼ばれる美麗な絵柄を生み出した立て役者であり、「響け!ユーフォニアム」では登場人物全員を丁寧にデザインし、京アニから画集が刊行されたほどである。昨年、Yahoo!オークションに池田氏のサイン色紙が出品された際は、100万円で落札されている。こうした金額を記すのは気が引けるが、池田氏がただの会社員ではなかったことの何よりもの証拠といえるのではないか。

 傑出した才能をもっていたアニメーターが亡くなったことは、世界的にも大きな関心事といえる。これが、筆者が実名報道が必要だったと思う理由だ。批判されるべきは実名報道ではなく、遺族のもとに押しかけたり、現場に訪れたファンのコメントを繋ぎ合わせたりして安易な記事を作ろうとするマスコミの取材姿勢であろう。ネット民がマスコミ嫌いなのはわかるが、そこを一緒くたにすべきではなかったのではないか。

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