母の介護は妻まかせで「プラトニック不倫」に酔ってたら… 聞き間違い?認知症の母からの衝撃の一言
そして美香さんと出会った
ある日、店から出たところでひとりの女性とぶつかり、彼女を転倒させてしまった。一気に酔いが冷めた。救急車を呼んで病院に搬送したが、幸い、足首の捻挫ですんだ。
「帰宅できそうだったのでご家族に連絡しますよと言ったら、美香は『夫は出張でいないんです。よかったら家まで送ってもらえませんか』と。家まで送って、翌日、再度病院に連れていきました。僕のせいですから。捻挫といってもけっこう重傷だったみたいで、治療費はもちろん慰謝料もと言ったら、彼女は治療費とタクシー代だけでいいと頑なに言うんです」
美香さんは仕事をしていたため、数日間は会社までタクシーで往復していた。それでも出社しなければならないような立場だったのだ。康太朗さんより5歳年下だったが、社内では商品の開発部長として活躍していた。
「お見舞いも兼ねて彼女と会うようになりました。そしてお互いに惹かれていった。自分を止めようがありませんでした。彼女は夫が出張ばかりだと言っていたけど、実際は夫は不倫していて、恋人の家にいることのほうが多いようでしたね。『私は子どもを産めなかったけど、あちらには子どもがいるのよ』と寂しげに言ったこともあります。でもふだんはとにかく明るくて話すのが好きで、とにかく馬が合ったんです。何度も会っているうちに彼女の家に行くようにもなった。でももちろん性的な関係はありませんでした」
介護は妻に任せ…
お互いのことを知りたかった。話しても話しても時間が足りない。手を握り合ったまま話しても体がほしいとは思わなかった。
「セックスしてしまうのがもったいなかったんです。そんな気持ちが自分の中にわいてくるなんて考えたこともなかった。本当に愛おしくて、彼女との時間が宝物になっていった」
帰宅すると、燿子さんが母の介護をしている。母の徘徊がひどい時期もあったが、康太朗さんは疲弊している燿子さんに優しい言葉をかけることもできなかった。ヘルパーさんも来るようになったが、基本的には燿子さんがめんどうをみてくれていた。
「子どもたちに介護を手伝わせている現場を見たとき、なぜか僕はカッとなって『子どもたちにはやらせないほうがいい』と言ってしまったんです。10代の子どもたちに、祖母のおむつを替えさせるなんて、そんなことはさせたくない。でも今思えば、燿子だって体調の悪い日もあったんでしょう」
そんな時期を経て、母は寝ていることが多くなった。家の中の雰囲気は決していいとはいえない。康太朗さんはなるべく子どもたちをフォローしようとしたが、家にいるより美香さんと過ごす時間を優先させた。どうしてもそうなってしまったと彼は言う。
「美香には家庭のことは詳しく伝えていませんでした。妻に自分の母親の介護をさせていることを知られたくなかった。家庭はごく普通で子どもが3人いることは話していましたけど」
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