母の介護は妻まかせで「プラトニック不倫」に酔ってたら… 聞き間違い?認知症の母からの衝撃の一言

  • ブックマーク

【前後編の後編/前編を読む】「別れるなら死にたい」「ずるいのは分かってる」50歳夫にここまで言わせる5年不倫 後に壊れる家庭の始まりは

 岡尻康太朗さん(50歳・仮名=以下同)には、「別れるくらいなら死んでしまいたい」と語るほどの不倫相手がいる。決して肉体的なものではなく、心が「つながる」相手として5年続く関係だという。もともと家庭は順風満帆。就職先の社長のひとり娘・燿子さんと結婚、家業を継ぎ、双子の父にもなった。

 ***

 ところが禍福はあざなえる縄のごとし。燿子さんが男女の双子を出産する直前、社長が脳卒中で急逝した。まだ60代半ばだった。ショックのあまり燿子さんは産気づき、1週間ほど早い出産となったが、双子は無事に産まれた。

「社長のお葬式をすませた3日後、子どもたちが生まれてきた。生まれかわりかもしれないねとみんなで言っていたんです。そうしたらその1ヶ月後、今度は社長の奥さんが亡くなった。燿子は1ヶ月の間に両親を亡くして、双子を得た。精神的にそうとうつらかったと思います」

 だが彼もまた、会社経営という重みを一気に背負うはめになり、心身ともに多忙な日々が続いた。彼の母親が燿子さんを心配して、毎日のように手伝いに来てくれた。

「母は『燿子さんがかわいそうでたまらない』と。燿子も僕の母親には素直に甘えていたみたいです。母は、他人だけど、自分の娘みたいにかわいいと世話を焼いていました。このときは本当に助かりました」

 康太朗さんは仕事に全力を傾けた。経営者としては未熟すぎることがわかっていたので、古参の社員たちに助けを求めた。ひとりひとりが職人のような会社だから、まとまりが悪い側面があったのだが、社長の死で彼らは一致団結してくれた。

次ページ:母と同居を始めて

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[1/5ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。