「迫真のノンフィクション」という表現はまちがい? 実は「迫真のフィクション」の方が正しい“納得の理由”

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「意味を誤解して生じた俗用」

 他の辞書はどうでしょうか。高校生向けの「三省堂 現代新国語辞典 第7版」(2024年)には、「破天荒」の意味として次のような記載があります。

〈[意味を誤解して生じた俗用で]型破りだ。【注意】「今までだれもしなかった、思いもよらないことをするようす」が本来の意味〉

 また「三省堂国語辞典 第8版」にも、〔俗〕の注記とともに「型破りで豪快なようす」とあります。

 実際のゲラでも、「破天荒=豪快で大胆、型破り」の意味のほうばかりを見かけます。というより、今ではほぼそちらの意味でしか見かけないと言ってよいでしょう。前述した、本来の使われ方とされる「破天荒の大事業」のほうが完全にレアケースです。

 校閲者として「破天荒」の俗用表現をどう扱うのかは、媒体や状況によっても異なると思いますが、私の場合、上記の例外(誤読を誘発する場合や、時代に制約のある内容など)を除いて、週刊誌の記者原稿では現状、校閲疑問を出さないようにしています。

 しかし、この「校閲疑問を出すかどうかの判断」というのは全てをマニュアル化できるものでもなく、本当に悩ましいものでして……これを次回のお題といたします(突然の予告)。

迫真のノンフィクション?

 もう一つ、こちらも現場でよく見かける表現として「迫真」というものがあります。

「明鏡国語辞典 第3版」には、「真に迫っていること。表現などがまるで現実のようであること」、「三省堂国語辞典 第8版」には「ほんものそっくりに見えること」と記述されています。

 よく「迫真の演技」などと言われるように、文字通り「真に迫る」、すなわち本物でないものに対して使うのが本来の意味であって、「迫真のノンフィクション」「迫真の叫び」といった表現は本来の意味からは外れている、とされているのです(むしろ“迫真のフィクション”のほうが正当なわけですね)。

 こちらについては、現状で「迫真のノンフィクション」を許容していると思える辞書は見当たりませんでした(あればぜひ教えてください)。

 ですが、ネットでフレーズ検索(過去記事参照)をすると、なんと“本の帯”でこの表現が頻出していることが分かりました。

「迫真」の「真に迫る」が「真実に迫る」と混同され、「迫力」などとも雰囲気が近いことから、「迫真のノンフィクション」という表現が使われやすいのでしょう。こちらも時代の流れとともに今後、辞書でも許容されていく可能性があります。

 最後に、「新明解国語辞典 第8版」における「迫真」の項、美しい記述をご紹介します。

〈はくしん【迫真】 演技(演出・創作)である事を忘れさせるほど、訴える力が強いこと〉

 前回も書きましたが、「辞書で呑む」気持ち、やはりよく分かります。口元が緩んで辞書にお酒をこぼさないよう、気を付けねばなりませんが……。

甲谷允人(こうや・まさと Masato Kouya)
1987年、北海道増毛町生まれ。札幌北高校、東京大学文学部倫理学科卒業。朝日新聞東京本社販売局を経て、2011年新潮社入社。校閲部員として月刊誌や単行本、新潮新書等を担当し、現在は週刊誌の校閲を担当。新潮社「本の学校」オンライン講座講師も務める。

デイリー新潮編集部

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