「クイズ王」は現代の教養人か? 学歴を看板に掲げる「人気クイズ番組」が浮かび上がらせた“知識”と“教養”の違い
1980年代から続く「クイズ」ブーム。それは形態を変えながらも現代に続いている。競技として突き詰められた「クイズ」での圧倒的な知識は果たして新たな教養なのだろうか。かつての「教養人」との比較から、その輪郭を批評家でメディア史研究者の大澤聡氏が浮き彫りにする。【大澤聡/批評家】
(全3回の第2回)
【写真】かつての「教養人」大宅壮一氏 在りし日の貴重なカット
コミュ力至上主義
「第1回」では、いま教養という単語から連想されるものとして、ひろゆきさんに象徴される論破系のコメントや、自己啓発&ビジネス系の討論番組のふるまいがあるという話をしました。もうひとつ挙げるとすればクイズ王のような存在でしょうね。
わたしが子どもだった1980年代には一般人が参加する「アメリカ横断ウルトラクイズ」や、その番外編としてはじまった「全国高等学校クイズ選手権」がとても盛り上がっていました。そこで撒かれたクイズ文化の種が現在の何度目かのクイズバブルにもつながっているのですが、それとはまったく別に1990年代には、タレント参加型のクイズバラエティ番組が毎週いくつも放送されていました。
そして、2000年代前半には、前者の真剣なクイズ番組がすっかり姿を消して、かわりに後者から派生するかたちで「クイズ!ヘキサゴン」に代表される「おバカタレント」ブームがテレビ界を席巻します。タレントによる珍回答を笑うのですね。勉強ができなくても愛嬌さえあれば世の中を渡っていける、反対にいくらお勉強ができても空気を読んだコミュニケーションができなければ、なんにもならない。そんな「コミュ力至上主義」がそこにははっきりと打ち出されていました。
この風潮は同時代の社会全域に蔓延してもいて、不景気が続くなか、就活の面接試験など人生を左右しかねない場で、コミュニケーション能力や人間力、はたまたオーラといった数値化や学習がおよそ不可能な漠たる能力によって選別されてしまう傾向が指摘された。教育学者の本田由紀さんは当時それを「ハイパー・メリトクラシー」と表現しました。
能力主義や業績主義を意味する「メリトクラシー」とちがって、「ハイパー・メリトクラシー」型の社会では、努力や学習がほとんど機能しません。やっぱり生まれ持った才能や環境で負けるのか……と諦念が漂う。おバカブームとハイパー・メリトクラシー化は表裏の関係にあります。
[1/3ページ]


