「実行犯から遺体の場所が明かされたのに発見できず」 坂本弁護士一家事件、神奈川県警の深刻な捜査ミス 「“坂本は借金を抱えて失踪”と誤情報を報道機関にリーク」
猛毒のサリン製造に成功した瞬間
93年夏、当時の最高幹部・上祐は科学技術班の土谷正実からサリンの試作品を見せられたという。土谷は筑波大学大学院で有機物理化学を研究していた科学者で、麻原からサリン製造を指示されていた。わずか数十グラムの量だったが、オウムが猛毒のサリン製造に成功した瞬間だった。上九一色村には土谷のホーリーネーム(宗教名)を冠した「クシティガルバ棟」と、やはり“理系エリート”の遠藤誠一の名を冠した「ジーバカ棟」があった。麻原は信者間の“ライバル心”を巧みにあおり、この二人と中川智正らに競わせてサリン生成を進めたのだ。麻原の人心掌握術は実に巧妙だった。
93年6月の皇太子殿下ご成婚パレードで炭疽菌をまく計画もあった。炭疽菌とは、毒性が極めて強い細菌で生物兵器としても使われ、その致死率は90%ともいわれている。東京・亀戸にあった東京総本部に科学技術班のメンバーが秘密裏に集められ、炭疽菌の開発が進められた。恐ろしいことに、ご成婚パレードに合わせ大量散布するべく噴霧実験を繰り返していたのだ。しかし施設の周辺で異臭騒ぎが起き、炭疽菌計画は中止に追い込まれた。
第3回【「大量の羊の死骸からサリンが…」「核兵器を本気で作ろうとしていた」 オウムがオーストラリアで進めていた驚愕の計画の全容】では、オーストラリアのウランが採れる牧場でオウムが進めていた「核兵器開発計画」、そしてサリンを使った動物実験が行われていた問題について、元オウム幹部や、当時オーストラリアで捜査に関わった元オーストラリア連邦警察長官の証言を基に報じる。
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