「実行犯から遺体の場所が明かされたのに発見できず」 坂本弁護士一家事件、神奈川県警の深刻な捜査ミス 「“坂本は借金を抱えて失踪”と誤情報を報道機関にリーク」
事実無根の情報を報道機関にリークした神奈川県警
その後、実行犯の一人岡崎一明は「龍彦ちゃんが眠っている。早くお願い、助けて!」という手書きの手紙と地図を匿名で、90年2月16日付の速達で神奈川県警に送っている。県警は2回にわたり地図の示す場所を捜索するものの発見できなかった。この時、捜索箇所と遺体の距離はわずか数メートル、目と鼻の先だった。岡崎も、なぜ警察が遺体を発見できなかったのか不思議に思ったという。
県警は手紙を出したのは岡崎であると疑い、事情聴取も繰り返した。しかし、そもそもオウムに対する捜査が十分でなく、追及する材料不足で岡崎から真実を語らせることはできず捜査は進展しなかった。殺害現場には血痕も多数あった。事件性を疑い粘り強く丁寧な捜査をしていれば、その後の松本サリン、地下鉄サリン事件も防げたのではないかと今改めて思う。そればかりか神奈川県警は「坂本は借金を抱えて失踪した」などと事実無根の情報を報道機関にリークしていたのだ。
神奈川県警は捜査本部名を「弁護士一家失踪事件」としたが、「失踪」とは「自ら行方をくらますこと」だ。坂本弁護士の母・さちよさんはこの「失踪」という言葉に強い拒絶感を示していた。そもそものスタートから“ボタンの掛け違い”があったとしか言いようがない。
「オウムは反社会・反国家である!」
オウムはさらなる信者の獲得と国家への影響力拡大のために真理党を結成し、90年2月の衆議院議員総選挙に集団立候補した。信者らが麻原や象のお面をかぶって踊ったり、麻原が選挙カーの上で歌ったりと奇抜な選挙運動を展開し、話題にはなるも立候補者25人全員大差で落選。最も得票の多かった麻原でも1783票で供託金も没収された。麻原の野望はもろくも崩れ去り、本気で当選を信じていた麻原は傍目にも落胆していたという。
選挙惨敗の翌日、麻原は信者たちを前に「選挙管理委員会が開票を操作した」などと“陰謀論”を説く。
「オウムは反社会・反国家である! ドブ川で美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには反社会でなければならない! 国家・警察・マスコミすべてこれからも敵に回っていくだろう」
と宣言。ここからオウムは社会との対決姿勢を鮮明にして武装化も進めていくのである。
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