「実行犯から遺体の場所が明かされたのに発見できず」 坂本弁護士一家事件、神奈川県警の深刻な捜査ミス 「“坂本は借金を抱えて失踪”と誤情報を報道機関にリーク」
殺人を肯定する教義
教団は当時、東京都に宗教法人の認証を申請していた。このような事案が表沙汰になれば認証などされなくなる。教団は証拠隠滅を図り、男性の遺体をドラム缶に入れ、護摩壇で焼いてしまう。この時麻原は「これはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神からの示唆だな」と信者たちにささやいたという。ヴァジラヤーナとは、もともとチベット密教の奥義のことで、オウムでは殺人さえも肯定する教義として使われた。この一人の信者の死をきっかけに教団の歯車が大きく狂い出していく。
翌89年2月、この信者の死亡現場にいた男性信者が「尊師を殺してでも教団を脱会する」と訴え出たため、コンテナ内に監禁、信者らに殺害させる。ここまでは教団内部で起きた事件だった。
“縦割り”という警察の弱点
同年8月、オウムは東京都から宗教法人の認証を受けるが、10月から週刊誌でオウムを批判する特集記事がスタートする。記事の中で、出家と称し家族と断絶させるなどの教団の活動を厳しく批判して、宗教法人の認証取り消しに向け動き出した坂本堤弁護士とオウムの対立は深まっていく。
10月終わり、当時の幹部・早川紀代秀、上祐史浩、顧問弁護士の三人が坂本弁護士の所属する横浜法律事務所を訪ね交渉するも決裂、坂本弁護士は「人を不幸にする自由はない」と教団の活動を強く否定した。
交渉決裂の報告を聞いた麻原は、坂本弁護士一家の殺害を指示、11月4日未明に早川ら6人の信者が坂本弁護士宅に押し入り、わずか1歳だった長男の龍彦ちゃんまで手にかける。
殺害された一家三人の遺体は新潟県、富山県、長野県と別々に遺棄された。これもオウムが当時の警察の弱点だった“縦割り”をついたものだ。
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