大作映画を「圧巻の2時間!」と褒めるのはアリかナシか…校閲者が「自分の言語感覚」よりも大事にする“根拠”とは
皆様、こんにちは。新潮社校閲部の甲谷です。
今回もクイズから始めます。
文化庁が毎年、「国語に関する世論調査」の結果を発表しています。その令和4年度版の中では、「忸怩(じくじ)たる思い」という言葉の意味についても取り上げられています。日常でも使われる言葉ですね。
では、「忸怩たる思い」について、同調査内で「辞書等で本来の意味とされてきたもの」と紹介されている意味は、次のうちどちらでしょうか?
A……残念で、もどかしい思い
B……恥じ入るような思い
答えはこの記事の最後に掲載します。
言葉の意味は移り変わる
上記のクイズのように、「辞書上の本来の意味」と「世間一般で最も認知されている意味」が拮抗するケースは世の中にたくさんあります。
校閲者は、こうした表現をゲラ上で毎日のように目にします。そして、週刊誌のような媒体では特に、さまざまな表現にスピード感を持って対応することが求められます。
今回は、こうした「校閲者や編集者によって解釈が異なる可能性がある」ような、判断に迷いやすい語句について取り上げていきます。媒体や状況によっても扱い方は異なりますので、語句の意味について白黒はっきりさせることが目的ではないことをご理解ください。
その1「圧巻」
ゲラ上でかなり頻繁に見かける単語です。「圧巻のマグロ解体ショーだった」「この映画は圧巻の2時間だった」などと使われます。が、実はこの2つの文章における「圧巻」は、辞書上の本来の意味ではない使われ方をしているのです。
「明鏡国語辞典 第3版」から引用します。
圧巻:書物・劇・楽曲などの中で、最もすぐれている部分。また、勢ぞろいしたもののなかで最もすぐれているもの。出色。
用例として、「終楽章のカデンツァの部分が圧巻だ」などが記されています。つまり本来は、全体の中のすぐれた一部分について使う言葉であって、先ほどの文章のように「2時間の映画がまるまる圧巻だった」という風には使われない、ということなのですが……。
実際の現場では、むしろ「圧巻の2時間」という表現のほうを多く見かけます。これを「圧倒的な2時間」などと言い換えるべきだという向きもあるようですが、雰囲気が出ない気もしますよね。
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