忠犬ハチ公 好物はヤキトリ、無名時代は駅員にイジメられたことも、銅像と軍国主義の関係…知られざる生身の姿

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 東京・渋谷駅の「忠犬ハチ公像」は有名な待ち合わせスポットだが、生前のハチ公が待っていた飼い主は永遠に帰ってこなかった。その健気な姿が注目されたハチ公は、有名犬として銅像が建つほどの大出世を遂げたが、果たして本当に忠犬だったのか? 駅のご近所さんに愛された老犬の“スター誕生”物語からは、束の間の平和を謳歌していた戦前の昭和が見えてくる。

(「新潮45」2005年7月号特集「あなたの知らない『昭和ヒトケタ』10大珍騒動・怪事件簿」掲載記事をもとに再構成しました。文中の年齢、年代表記は執筆当時のものです)

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薄汚れた老犬が一躍スターに

「今のハチ公口の臨時改札のあたり、そこにハチがゴロンと寝そべっていた。もう老犬で毛皮も薄汚れていましたが、そのまなざしが何ともやさしくてね、子供心にも胸を打たれたんですよ」

 元会社役員・林正春さん(76歳)は、幼い頃、渋谷駅でその姿を見て以来のハチ公ファン。思いが高じて、ハチ公に関する文献や縁りの人々の聞き書きを集めた『ハチ公文献集』を平成3年、自費出版した。

 ハチ公と言えば、言わずもがなの忠犬の鑑。戦争中に作られた忠君愛国の英雄譚の多くが戦後すっかりメッキを剥がされたにもかかわらず、唯一、ハチ公だけは現代に生き延び、その名声は、渋谷駅頭の銅像(実は2代目だが――後述)とともに不動である。

「帰らぬ主人をこの駅で待ちつづけてゐるのだ」

 ハチ公が世に出たのは、昭和7年10月4日の東京朝日新聞に、「いとしや老犬物語 今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」と題して、写真付きの記事が掲載されたのがきっかけである。

「東横電車の渋谷駅、朝夕真つ黒な乗降客の間に混つて人待ち顔の老犬がある、秋田雑種の当年とつて十一歳の――ハチ公は犬としては高齢だが、大正十五年の三月(実際は大正14年5月――後述)に、大切な育ての親だった駒場農大の故上野教授に逝かれてから、ありし日のならはしを続けて雨の日雪の日の七年間をほとんど一日も欠かさず今はかすむ老いの目をみはつて帰らぬ主人をこの駅で待ちつづけてゐるのだ、ハチ公にとつては主人の死などはあり得ない事実に違ひないのだ、行きずりの人々もいつしかこの事情を知って、ハチ公の心根を憐れみ、売店でコマ切れや何かを買ひ与へて慰めてゆく人もある、浅草辺の人が一度上野氏の家族からもらって養育したことがあるさうだが、渋谷の土恋しくその日のうちに一目散ににげかへつて来て、今では近所の植木屋さんが飼主となり、ハチ公の死後の埋葬料までついてゐるといふ話(後略)」

 朝日新聞記者、鈴木卓郎氏が、「文藝春秋」昭和63年8月号に寄せた「朝日新聞が創った『忠犬ハチ公』神話」によれば、この記事を書いたのは先輩記者の渡辺紳一郎氏であるという。きっかけはひょんなことからである。

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