忠犬ハチ公 好物はヤキトリ、無名時代は駅員にイジメられたことも、銅像と軍国主義の関係…知られざる生身の姿

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渋谷駅は思い出が残る場所

 まず、生前の上野博士を、ハチ公が毎日渋谷駅に送り迎えしていた事実はないとする説がある。というのは、当時、博士は駒場の東大に歩いて通っていて、毎日渋谷駅を利用する必要はなかった。ただ、北区の農事試験場に出向く際は渋谷駅から乗っていたらしいが。

 ならば、なぜハチ公が博士の死後も渋谷駅周辺をウロウロしていたのかと言えば、ヤキトリが目当てだったという説が有力だ。当時、渋谷駅前には30軒ぐらいのヤキトリ屋が軒を連ねていて、そこの客が与えるヤキトリを目当てにしていたという。事実、昭和10年3月8日にハチ公が死んで解剖した際、胃袋の中からヤキトリの串が何本も発見された。

 しかし、林さんはこう言う。

「上野博士が亡くなった後、博士に可愛がられていた頃ほど餌が十分与えられなかったことは確かでしょう。でもひもじいから渋谷駅に通ったのではない。ハチにとって渋谷駅は、博士を送り迎えしていた頃の思い出が残る場所なんです。だから足が自然と駅の方に向いたのでしょう。さらに、上野博士は、渋谷駅から市電に乗って農商務省に行く用事もあった。そういう時も送り迎えをしていた」

飼い主の身辺も当時の話題に

 ハチ公があまりにも有名になったために、飼い主の上野博士夫妻についても、さまざまなうわさが飛び交った。例えば、博士が脳溢血で急死したというのは嘘で、学生たちと酔って帰って家の前の暗渠(あんきょ)にはまって亡くなったとか、未亡人とは正式な結婚ではなく、単なる愛人に過ぎなかった云々。

「いやあ、ミゾにはまって死んだというのは聞いたことがないですね。だけど、祖母とは籍が入っていなかったのは事実です。今で言う事実婚と言うのか、そのあたりはさばけていたようです(笑)」

 そう証言するのは、上野博士の出身地・三重県久居市に住む、博士の孫にあたる上野一人氏。

「孫とは言っても、英三郎には子供がいなかったので、英三郎の妹の子供を養子にしたんです。それが私の父でした。ですから正確には、英三郎は私の大伯父に当たります」

 三重県議会議員を長年務め、議長職の経験もある一人氏は、上野博士の血筋を受け継いで無類の犬好き。十年前からハチ公そっくりの秋田犬を飼い、「八郎」と名づけて可愛がっている。

「一族の間では、ハチ公とは言わずハチと呼んでいます。秋田犬というのは、足を踏ん張って立つと前足が八の字に開く。安定性があるんです。それで祖父は、ハチと命名したようです」

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