忠犬ハチ公 好物はヤキトリ、無名時代は駅員にイジメられたことも、銅像と軍国主義の関係…知られざる生身の姿

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無名時代は駅員に叩かれたことも

 やがて、上野夫人は渋谷の旧宅を引き払い、ハチ公はあちこちの預け先を転々としたが、最後に、以前、博士宅に出入りしていた富ヶ谷の植木職人宅に引き取られた。するとこの家からハチ公は再び、渋谷駅通いを始めたのである。

「無名時代のハチは、駅員に叩かれたり、顔にへのへのもへじの落書きをされたり苛められることも多かった。それでもおとなしいハチは、毎日改札口の傍らにじっと座っていたのです」(林さん)

 ところがひとたび有名になるや、ハチ公は大出世を遂げた。「日本ボチクラブ」はハチ公を名誉会員に推挙して立派なメダルを贈り、ほどなく、関係者の間で銅像建設の話が持ち上がった。それが新聞で報じられると、渋谷駅には、「ハチ公へ」と全国から金品が殺到した。

 かくして昭和9年4月21日、渋谷駅頭で「忠犬ハチ公」像の除幕式が盛大に執り行われた。主役のハチ公は、詰めかけた大勢の人たちに混じり、紅白の布を身に飾られて、終始怪訝そうに見守っていたという。

戦意高揚と忠君愛国のシンボル

 さらに、ハチ公の座像が天皇に献上され、翌年発行の修身の教科書には「忠孝の鑑」として登場するなど、ハチ公狂騒曲はとどまるところを知らなかったが、そこにはもちろん、当時の時代背景が色濃く影を落としている。

 ハチ公が有名になった昭和7年は、日本が軍国主義へと傾斜して行く曲り角の年だった。すでに前年、満州事変が勃発、3月には満州国建国が宣言されるが、国際連盟はこれを独立国と認めず、日本は国際的に孤立してゆく。5月には五・一五事件が起こり、犬養首相が暗殺された。ドイツではナチスが台頭し、戦争の足音がひたひたと迫りつつあった。

 そんな時代に一匹の犬が、国民の戦意高揚と忠君愛国のシンボルとして大いに利用されたのである。

 おそらく銅像の建立には、同じ昭和7年の上海事変で散り、軍神として崇め奉られた「肉弾三勇士」の銅像が、芝・青松寺に建てられたことが影響したようだ。

 それでは、さまざまな人間の思惑による虚飾を剥ぎとった生身のハチ公とはどんな犬だったのだろう。

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