「実子がいるのに、夫婦養子に儀式を…」 琉球王朝「尚家」のお家騒動、何が起きているのか

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逃げるように帰国

 尚衞氏は、この裕氏の長男として、1950年8月18日に東京で生まれた。東京都千代田区立永田町小学校、同麹町中学校を経て玉川学園高等部に進み、玉川大学を卒業後、“西武”に就職したが、数年で退社してモデル業に転身、スーパーのチラシのモデルや映画のエキストラを経験したという。

 尚本家が債務整理の只中にあった1982年5月15日、衞氏は岩邊みどり氏と結婚、みどり氏の連れ子の陽輔氏も尚家の一員となった。

 1993年、衞氏は米国アラバマ州サムフォード大学に留学し、MBA(経営学修士)を取得する。みどり夫人とのあいだに生まれた、当時小学3年生の猛氏、連れ子の陽輔氏を含む家族四人での移住だった。

 留学資金は、小川氏が用意した。5年後にはみどり夫人が親の介護のために帰国、男三人所帯となる。衞氏は、現地で貿易会社を興すが、事業に失敗した上、女性絡みのトラブルが訴訟沙汰に発展し、息子二人を米国に置いたまま逃げるように帰国してしまう。残された二人の息子は、異国の地でそれこそ辛酸をなめるような苦労を味わったようだ。

「王家の血筋」への拘り

 陽輔氏は、大学を卒業後、現地で就職・結婚、いまも米国在住だが、猛氏は高校卒業後に帰国、日本の大学を卒業して、現在は大手ディスカウントストア・チェーンの海外事業部門に勤務している。

 帰国した衞氏は離婚し、東京暮らしを経た後、最終的には姉の野津圭子氏(裕氏三女)を頼った。圭子氏の嫁ぎ先は、岡山を拠点に事業を展開するカバヤ食品(現・日本カバヤ・オハヨーホールディングス)の創業家・野津家の喬(たかし)氏(2017年逝去)である。現・代表取締役社長・基弘氏は、喬・圭子夫妻の長男だ。尚家と野津家との縁は深く、圭子夫人の妹の薫氏(裕氏四女)も、喬氏の弟・公(ただし)氏(2009年逝去)に嫁いでいる。また、喬・圭子夫妻の息女は自民党幹事長代理の井上信治衆院議員の妻である。

 衞氏は野津家の援助を受けたものの、その足元は定まらなかった。

 そして2013年ごろから、圭子氏は、急に「王家の血筋」への拘りを見せるようになったという。

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