「実子がいるのに、夫婦養子に儀式を…」 琉球王朝「尚家」のお家騒動、何が起きているのか

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「衞様が沖縄にお戻りになるための地固め」

 語るのは、沖縄の金武御殿(きんうどぅん)門中会の元事務局長・野村朝生(ちょうしょう)氏である。金武御殿門中会とは、王家不在の沖縄で、尚本家に代わって王家の行事を任されてきた一門である。「御殿」は、王家に連なる一族で、本土でいえば宮家のような存在だ。

「2013年のことですが、圭子様から突然お電話をいただき、亡くなったお父上・裕様のことを本にしたい、とおっしゃるのです。圭子様が沖縄にお見えになると、王家縁(ゆかり)のさまざまな場所にご案内申し上げました。圭子様は、衞様が沖縄にお戻りになるための地固めをされているのではないか、という印象でした」

 この時期、圭子氏は、霊力があるとされる松堂玖邇(しょうどうくに)氏を、琉球王朝最高位の神職である聞得大君(きこえおおぎみ)に任命していた。

 聞得大君は代々、王妃、王女など、王に直結する女性が務めてきた、琉球独自の由緒ある神職だが、明治期に王位が廃止されてからも続いていたようだ。しかし、王と一体になって琉球国を守護する神職なので、明治以降の聞得大君は公式の存在ではない。基本的に王家の男系女子が務める神職でもある。

「王」としての権威を回復したい、という思い

 圭子氏の当面の目標は、首里にある世界遺産・玉陵で尚本家主催の御清明祭を執り行うことにあった。御清明祭とは、沖縄で一般化している祖先供養の行事で、王家の行為には接頭辞「御」をつける。圭子氏には、玉陵での御清明祭を通じて、衞氏の「王」としての権威を回復したい、という思いがあったようだ。

「尚家の御清明祭は、ずっと金武御殿が行ってきました。明治の琉球処分で、尚家の8人の王子は皆東京に行きました。そのため金武御殿が尚家に代わり御清明祭を守ってきたのです」

 と、先の金武御殿門中会の野村氏は、困惑したような表情で語る。

「御清明祭は、昭和15年までは毎年執り行われ、16年から20年までは中断、昭和21年に復活しました。沖縄は焼け野原で、金武御殿の方々も掘立て小屋に住んでいるような状態でしたが、なけなしのお供物、器を持ち寄って復活させたのです。私どもは極力、昭和15年以前の形でやっていこうと、明治生まれの方々から、24品ある供物の並べ方など、儀式の所作についても教えてもらい、その費用も含めて、金武御殿が祭祀(さいし)を行ってきました。これは那覇市にも認めていただいています。衞様にも毎年お知らせしてきましたが、ずっとお越しにならなかった」

 那覇市に取材すると、2003年4月9日付の「世界遺産・重要文化財・国指定史跡『玉陵』における清明の祭祀について」という文書が残っていた。それによれば、「(玉陵の御清明祭の)許可は、歴史的・文化的経緯に基づき、向氏仁淵堂(しょうしじんえんどう)金武御殿門中会に限って認められる」と記載されている。金武御殿は那覇市のお墨付きを得て御清明祭を行っているのだ。衞氏、野津圭子氏はそこに割り込もうとしたのである。

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