「軍事的には沖縄でなくてもよいが」……かつて防衛相が漏らした「沖縄に米軍基地がある本当の理由」

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 今年10月、米空軍は1979年以来沖縄に配備してきたF15戦闘機を嘉手納基地から撤退させ、F22戦闘機をローテーション配備する見通しを発表した。これはアメリカの軍事力低下を示す兆候であるという報道も出ている一方、中国の軍事力増強を背景に、固定された在沖米軍基地の脆弱性を米側が認識し、柔軟な運用体制を検討していることを意味しているという分析もある。

 いずれにせよ、対中防衛への緊張が高まるなか、「米軍基地を今まで通り沖縄に集中させておくだけで本土は守られる」という考えにとどまり続けていて大丈夫なのだろうか。

 沖縄米軍基地建設をめぐる日米外交史を研究してきた国際政治学者の野添文彬氏は、新刊『沖縄県知事―その人生と思想―』(新潮選書)の中で、日米それぞれの思惑と県内世論の狭間で苦闘してきた歴代の沖縄県知事を通じて、基地をめぐる情勢の変遷をつづっている。その中から、2011年に防衛相が記者会見で「沖縄に基地がある理由」を漏らした一幕を紹介しよう。沖縄への基地の集中は、必ずしも軍事的な戦略が理由ではなかったことが見えてくる。(以下は『沖縄県知事―その人生と思想―』本文からの一部抜粋です)

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 2011年6月、米国防総省が、翌12年後半に垂直離着陸機MV-22オスプレイを普天間飛行場に配備する方針を正式に発表する。オスプレイは開発段階で墜落事故が相次いだことから「未亡人製造機」とも言われ、安全性が疑問視されていた。このようなオスプレイが「世界一危険な飛行場」とも言われる普天間飛行場に配備されることに対して、沖縄では保革を超えて反対の声が高まった。7月14日には、沖縄県議会がオスプレイの配備計画の撤回を求める意見書と抗議決議の両案を全会一致で可決する。

 仲井眞弘多知事(当時)もまた、オスプレイ配備反対の考えを示す。オスプレイ配備がそれ以前から決まっていたにもかかわらず日米両政府がこれを公表しなかったことに不信感があり、また安全性に不安がある上にデータも不十分だったからだ。もっとも仲井眞の本意は、安全性をしっかり確保するならば配備そのものはやむなしという考えだった。

 沖縄県内でオスプレイ配備反対の世論が盛り上がっていく中、仲井眞はこうした動きから次第に距離をとろうとしていく。12年9月9日には、「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」が宜野湾市の宜野湾海浜公園で開催され、主催者発表によれば宮古・八重山会場と合わせて約10万人が参加した。この県民大会の共同代表には、翁長雄志那覇市長(後の沖縄県知事)が就任し、存在感を高めていた。一方、仲井眞は「行政のトップは市民運動とは距離を置くべき」という考えから欠席し、会場ではメッセージが代読される。実は県民大会直前、翁長は仲井眞に電話をかけて出席を求めていた。仲井眞がこれを断ると、翁長は激しく非難し、二人は言い争いになる。これが仲井眞と翁長が直接話をした最後になったという。県内世論の批判にもかかわらず、10月1日、普天間飛行場にオスプレイは配備されている。
 
 鳩山政権の挫折以降、仲井眞は「移設には時間がかかる。地元の理解も必要だ。それなら県外に持って行った方が早いのではないか」と考え、さまざまな取り組みを行った。自ら3度にわたって訪米するとともに、又吉進知事公室長を米国に頻繁に派遣して米国政府と直接やり取りし、それによって日本政府とは異なる立場から沖縄の状況を説明し、普天間飛行場の移設計画の見直しを模索したのである。さらに自身の人脈を使い、日本政府内部や影響力のある経済人を通して、日米両政府に働きかけ、政策を変えさせようとした。12年4月には、県庁内に地域安全政策課を設置し、専門家を研究員として配置、沖縄県独自で米軍について調査・分析に取り組んだ。そして全国80カ所以上の飛行場について沖縄本島からの距離や使用可能な滑走路延長などを検討し、県外移設の可能性を調査する。もっとも、日本政府に県外移設に真剣に取り組もうとする意思がない中で、こうした取り組みには限界があった。

「政治的に考えると沖縄がつまり最適の地域である」

 他方でこの時期、米国政府は、海兵隊の豪州へのローテーション配備を進めるなど、中国や北朝鮮のミサイル能力を警戒して兵力の分散化を進めていた。また、イラク戦争後の米国防予算の削減の中で海兵隊のグアム移転費用が米国議会で問題になり、米国内で辺野古移設計画への疑問の声が上がっていた。こうした中、12年4月の2プラス2で、日米両政府は在日米軍再編計画の見直しを合意する。ここでは、06年合意では「パッケージ」となっていた普天間飛行場の辺野古移設、沖縄の海兵隊のグアム移転、嘉手納以南の基地返還の「切り離し」が行われた。この背景には、沖縄経済の発展のため嘉手納以南の基地返還を優先的に進めてほしいという仲井眞県政の要請もあった。
 
 この間沖縄では、辺野古移設や沖縄への米軍基地集中への不満がさらに高まっていった。12年6月の沖縄県議会選の結果は与党21議席、野党・中立27議席となり、またも野党が勝利する。12月には記者会見で森本敏(さとし)防衛相が海兵隊の沖縄駐留について「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄がつまり最適の地域である」と説明し、沖縄に米軍が集中することの合理性がますます疑問視されていく。

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 以上の経緯をとっても、日本本土防衛のために求められる在日米軍基地の立地や規模、内容は、その時々の世界情勢や在外米軍基地に対する米国内の予算などによって変動することが分かる。

 野添氏は、同書の中で「沖縄への米軍基地が現状のままでいいと考えるのは短絡的である。近年、中国のミサイル能力の向上によって、沖縄への米軍基地の集中はむしろ戦略上の脆弱性になっている。米軍は、固定的な基地に依存しない、より分散化した柔軟な運用を模索している。こうした米軍の新たな戦略を踏まえて、沖縄の米軍基地のあり方を見直す」ことも視野に入れるべきだと提言している。
 
『沖縄県知事―その人生と思想―』より一部を抜粋、再編集。

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