日本はなぜ凋落したのか――アラブの歴史家が指摘した「三つの原因」から考える

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 太平洋戦争の敗戦から一転、戦後は高度経済成長を遂げて、一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまで言われた日本。しかし、バブル崩壊以降は長期停滞に入り、2023年のGDPはドイツに抜かれて世界4位に転落する見込みだ。

 日本はなぜ凋落したのか――。戦後の国際政治学をリードした高坂正堯・京都大学教授(1934~1996年)は、アラブの歴史家イブン・ハルドゥーンの思想を手掛かりに、文明が衰亡する原因を論じている。高坂氏の「幻の名講演」を初めて書籍化した新刊『歴史としての二十世紀』(新潮選書)から、一部を再編集して紹介する。

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 成功して豊かになった社会がやがて駄目になるのは、昔から珍しい話ではありません。むしろ、文化や文明の衰亡は不可避であると言っていいでしょう。平家物語にも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」とあります。
 
 ヨーロッパには数多くの「衰亡論」が、そして、イスラム世界にも社会変化を透徹した眼差しで見つめた考察があります。14世紀、北アフリカのマグレブ地方、今のチュニジアに生まれたアラブの歴史思想家、イブン・ハルドゥーンは次のように述べています。
 
 「文明の勃興期においては、人間は総じて禁欲的である。贅沢をしない。よく働く」。
 
 彼によると、大衆が貧乏で一部が贅沢では国全体が禁欲的になりません。禁欲の精神が国民に行き渡っているからこそ、社会はうまくいきます。それに続いて、社会が栄えると、困ったことが起こります。皆が使う富が増えてきたときに、イブン・ハルドゥーンは失われるものが三つあると述べています。

意志と忍耐力の欠如

 一つは意志の力です。人間が強い意志を持たなくなる。たとえば、甘やかされて育った子どもより、貧乏な子供の方がなにごとにも頑張ります。苦労しないで生活ができると、たまには面白い考えをする人間も出てきますが、平均的にはみんな頑張らなくなります。
 
 大学の教官としてつくづく実感するのですが、数年、景気がよくなるだけでも人間は怠け者になります。やはり、なにか不足するものがあって初めて、人間は努力し、なにかを成し遂げるようになるようです。
 
 この頃の学生はやる気がなくても遊ぶのはうまいのですが、ある意味、それはかわいそうなことなのです。何をしたらいいのかわからないし、急がなくても、やがては就職できるし、なにかしら食べていける。金持ちになっても1日に6回も飯を食うわけにはいかない。その点では、自分たちの世代の方がはるかに恵まれているので、彼らにやたらと優しくなりました。近頃の京大生を見ていると、それじゃいかんと思う気持ちもある一方、このような意志の力の欠如は仕方がないところもある。
 
 二つ目は、同様のことですが、忍耐心です。しかし、今の若者を寮や道場に放り込んで精神を叩き直そうと思っても無理で、彼らはその時だけ辛抱するだけです。

失われた「アサビーヤ」

 三つ目は、何よりも大事なこととして、イブン・ハルドゥーンは「アサビーヤ」というものがなくなると言っています。この「アサビーヤ」というのは、アラビア語なので訳しにくいですが、「団結心」ぐらいの意味合いでしょうか。つまり、お互いが繋がっていて兄弟であるという気持ち、やむを得なければ他の人の犠牲になってもよいという気持ちのことです。文明が伸びているときにはこれが強いが、駄目になるとなくなるという彼の考え方は、なるほどと思う節がないわけではありません。
 
 ただ、今までの話は、善悪は関係ありません。私には、貧しくても意志力が強く忍耐心があって団結している文明の勃興期の方が、文化が爛熟し人々が好き勝手をしている衰退期よりも好ましいと言い切る自信はありません。なぜなら、団結力があるおかげで、たとえば戦争で多くの犠牲を出しても平気というのは、社会として必ずしもいいこととはいえないからです。
 
 日本も、戦前の方が戦後よりも生き生きしていました。良し悪しは別として「アサビーヤ」が失われていくと、社会の成長力が減退することは事実のようです。イブン・ハルドゥーンは、以上のような単純明快な図式で、文明の不可避的な盛衰を説明しました。
 
 文明が美徳を失ったから衰えるという方が、人の耳にすっと入ってきやすい説明ですが、そうではありません。豊かになると三つの素質を失い、その結果、社会はよくなるかも知れないが、弱くなるという論理です。いかにも、砂漠という厳しい環境で育まれた考察です。

※本記事は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

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