日本がこれ以上衰退したときに「心の豊かさ」は保てる?(古市憲寿)

  • ブックマーク

Advertisement

 現代日本を生きるほとんどの人は、文明の衰退を経験していない。1991年のバブル崩壊以降、経済は停滞しているが、生活水準や技術レベルは確実に進歩している。食のレベルは上がり、交通インフラは整い、娯楽も増えた。特にインターネットの普及は、人々の生活スタイルを大きく変えた。

 だから文明の衰退を直感的に理解することは難しい。通貨危機や財政破綻は想像できても、スマホが使えなくなる状態は、まるでSFのようなフィクションとしてしか思い描けない。

 だが人類史を振り返ると、確実に文明が衰退した時期というのがある。代表的なのは西ローマ帝国崩壊後のヨーロッパだ。

 最盛期には西ヨーロッパや北アフリカ、西アジアなど地中海一帯を支配したローマ帝国は、395年に東西に分裂、476年には西ローマ帝国が崩壊している。

 ローマ時代の特徴は、帝国内での分業が進み、盛んに交易がされていたことだ。良好な治安と、交通網の発展により、庶民でさえも他地域の品物を入手することができた。

 たとえば北イタリアの農民は、南のナポリ地方で作られた食器を使い、北アフリカ産の陶器にぶどう酒やオリーブオイルを貯蔵し、瓦ぶき屋根の家に住んでいたという。工業製品のレベルは非常に高く、しかも生産量が多かったから、庶民にも手が届く代物だった(ブライアン・ウォード=パーキンズ『ローマ帝国の崩壊』)。

 ハイポコーストと呼ばれるセントラルヒーティングの仕組みがあり、浴場や個人宅でも用いられた。職業も多様で、クリーニング店もあったし、脱毛を施すエステティシャンもいた。今から約2千年前、日本でいえば弥生時代に当たる頃に、とてつもなく高度な文明が存在したのだ。

 だが西ローマ帝国崩壊後、庶民の生活水準はみるみる下がっていく。輸入陶器を使えるのは、ローマなどの都会に住む富裕層に限られるようになった。ローマ時代には珍しくなかった堅牢な壁や、大理石やモザイクの床を持った家に住むのは、王と司教だけになった。庶民は粗末な木造の家で、自給自足に近いような生活を送らざるを得なかった。

 イタリアで再び屋根瓦が普及するのは14世紀から15世紀にかけてだという。ローマ帝国時代の文明水準に戻るために、実に千年を要したのである。

 中世ヨーロッパには、心の豊かさがあったという指摘は可能かもしれない。人々が信仰に目覚め、分を知る人生を送っていた、と。実際、環境汚染の度合いも低かったという。だが、現代人が転生しても辛うじて暮らせそうなローマ時代よりも、生きるのは遥かにタフだったはずだ。

 最近でも、文明の衰退を「心の豊かさ」といった言葉で誤魔化そうとする人がいる。自ら清貧生活を営むのは勝手だが、それは他人に押し付けるものではない。

 ところで未来の学者は薄紙が束ねられ、ゴシップばかりが集められた週刊誌をどう評価するのか。暗黒の時代の遺物?

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2023年6月1日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。