【袴田事件再審】ボクシング仲間が証言する“20歳の巖さん”「根性があって打たれ強かった」

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巖さんとボクシングで戦った男

 さて、事件から半世紀以上が経ち、若き日の巖さんを知る人に話を聞くのは難しくなった。そうした中、静岡市清水区万世町に住む広田耕三郎さん(85)からボクサー時代の巖さんとの思い出を聞くことができた。

「私が18歳の時(1956年)、兵庫県の宝塚市で国体がありました。少女歌劇団(宝塚歌劇団)の劇場の近くに宿泊しましたね。その年はバンタム級の静岡県予選で袴田君と決勝を戦い、私が勝ったので団体戦の代表になったんです。そして翌年に静岡で国体があった時は、私は階級をフェザー級に上げて代表になり、袴田君がバンタム級の代表になりました。2人とも頑張って3位に入ることができましたよ」と、広田さんは懐かしそうに振り返る。

 1957年に静岡県で開かれた国体では、ボクシング競技が浜松市で行われた。当時24歳だったひで子さんも試合に駆けつけ、声を枯らして弟を応援した。

「巖のボクシングの試合を見たのは、あれが最初で最後かな」とひで子さんは言う。

「高校生で宝塚国体の代表に選ばれ、当時、バンタム級の日本チャンピオンだった中央大学の主将と互角に戦っていたから有名だったんだよ。新聞にも結構出たんだ」と広田さんはちょっぴり自慢した。巖さん以上に強かったようで、清水商業高校時代には中央大学から推薦で誘いがあった。

「私は7人きょうだいの3番目で、唯一の男だった。父親は体が弱くてあまり働けなかったので、母親が苦労して働いて育ててくれた。推薦されたけど、お金がなくて大学には行かれなかった」(広田さん)

 横にいた広田さんの妻は「(中央大学に)行っていたら出会ってなかったね。そのほうがよかったのかな?」と笑った。仲の良さそうな夫婦は結婚60年目だそうだ。

 広田さんは清水市(当時)の串田ジム(串田昇会長)に通ったが、プロボクサーにはならず、地元の「缶詰包装」という会社に就職した。串田ジムは巖さんが最初に通ったジムでもある。

「すれ違いだったので一緒に練習したことはなかった。彼とは試合しかしていないけど、袴田君は足を使うボクシングではなくググっと前進してきて打ってくるタイプ。根性もあって打たれ強くなかなか倒れない。私も判定勝ちしかできなかった。本当に強かったよ」と振り返る。

 袴田さんが国体に出たのは21歳で既に社会人だったが、広田さんは国体の団体戦に唯一、高校生で選ばれていたのだから相当の実力者だ。家庭が貧しくなければ有名なボクサーになったかもしれない。

労働運動、ストライキ華やかなりし時代

 リーダーシップのあった広田さんは「缶詰包装」の労働組合の委員長となり、労働争議でも活躍した。

 広田さんを紹介してくれたうえ取材に同席していた山崎さんは「当時、清水には缶詰包装、駿河精機、富士オルゴールなんていう会社があった」と懐かしがった。日本経済が右肩上がりの当時、日本有数の港町だった港町の清水市は活気に満ちていたのだ。

 労働組合の存在が経済界の中で大きな比重を占めた時代だった。今の日本社会では「ストライキ」という言葉は「死語」のようになっているが、1960年代から70年代は、私鉄や国鉄、バスなどの公共輸送機関も組合が待遇改善を求めて頻繁にストライキを行い、春になるとサラリーマンたちは常にストライキになった時の会社への出勤方法を考えていた。社会党や共産党も労働組合をバックに元気がよかった。次第にこうした政党や労組も労使協調路線に転じてゆき、ストライキも姿を消してゆく。

 その頃、巖さんも清水市にある「こがね味噌」に勤めていた。そして1966年6月30日、「こがね味噌」の専務一家4人が殺害され、自宅が放火される事件が起き、巖さんは犯人として逮捕された。

 広田さんは事件のことをこう振り返る。

「一緒に国体の試合に出ていた男だったのでびっくりした。でも、テレビや新聞で真犯人とされていたから、それを信じてしまった。袴田君がボーイとして勤めていた『太陽』というキャバレーに一度友達と遊びに行って、少し世間話したりはしていたけど、特別に親しかったわけではなかったし……。何か金に困ったとか事情があったのかと思ってしまっていたんだよ」

 1980年11月に最高裁で巖さんの死刑が確定し、翌年4月には最初の再審請求を起こしている。その頃から広田さんは事件に関心を持ち始めた。

「たしか1982年の11月にあった巖さんを救援する大きな集会に参加したよ。国民救援会(日本国民救援会は戦前から活動する政治弾圧被害者や冤罪被害者など権力による人権被害者を救済する支援団体)とかが来ていたな。白鳥事件のことなども話していた」

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