理不尽な捜査や司法判断に対抗できるのは「デジタルタトゥー」 裁判官や検察官の情報をシェアできる時代に(古市憲寿)

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 袴田事件の再審開始が決定した。検察が特別抗告を断念したためで、再審では無罪判決の公算が大きい。

 袴田事件とは、1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人・放火事件で、一家4人が殺害された。警察は30歳だった袴田巖さんを逮捕。裁判では無罪を主張し続けたが1980年に最高裁で死刑判決が確定している。

 だが2014年、静岡地方裁判所が再審開始、死刑と拘置の停止を決めた。袴田さんは47年ぶりに自由の身となった。村山浩昭裁判長は「拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない」と述べている。その後、検察側と弁護側の攻防の末、ようやくの再審開始となった。

 近年再注目されているのは、当時の静岡県警の捜査体質だ。科学的捜査が発展途上だった時代において、警察は今以上に被疑者の自白に頼るしかなかった。そこで拷問まがいの取調べと証拠捏造が横行していたのではないかというのだ。

 特に紅林麻雄(くればやしあさお)という警察官の担当した事件には、冤罪が多いことで知られている。彼の手がけた一連の事件は後に続々と無罪判決が下され、「拷問王」とも呼ばれた。紅林は直接関わってはいないが、やはり袴田事件でも警察の証拠捏造が強く疑われている。

 現代でも冤罪は消えたわけではない。殺人罪が確定して、12年もの間服役したが、後に再審で無罪判決が出た滋賀の「呼吸器」事件などがある。

 これからも理不尽な捜査や司法判断は起こりうる。だが一つの希望はデジタルタトゥーかもしれない。デジタルタトゥーとは、インターネット上に自分の情報がタトゥーのように残ってしまい、完全に消去するのが難しい状況を言う。通常はネガティブな意味で使われるが、権力監視という意味では、非常に有用かもしれない。

 たとえば袴田事件でいえば、有罪判決を下した裁判官や再審を認めなかった裁判官、特別抗告をした検察の責任者などを簡単に調べることができる。

 裁判官や検察官は退任後に弁護士となる場合があるが、クライアントにとっては、現役時代に関わった事件が一つの判断材料になる。誰も冤罪を生み出した元裁判官に弁護を頼みたくないだろう。他方で再審開始を決めた元裁判官には、法的にどうこうは別として、勝手に「人情派」みたいなイメージを抱いてしまう。

 裁判官の名前は公開情報なので、「ブラックリスト」を作ることは難しくない。司法に関わる人々も、どっぷりインターネットに浸かった世代がマジョリティーになりつつある。もはや彼らも世間と断絶した世界では生きられない。

 沸騰する世論に過度な影響を受けるのは困るが、デジタルタトゥーがいいのは長期的に情報が蓄積されていくことだ。一時の世論に惑わされた歪んだ裁判の記録も残り続ける。被疑者の名前も消えないが、それを裁いた者の名前も消えないのがインターネット時代なのである。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

2023年4月20日号掲載

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