袴田巖さんと姉のひで子さんに届いた、東京高検“抗告断念”の一報。その時、2人は…居合わせたジャーナリストの証言

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「幸せ者です」とひで子さん

 21日の午後から静岡駅近くの静岡労政会館で開かれた喜びの集会には、巖さんとひで子さんが姿を見せ、報道カメラが殺到した。

 いつもは長い挨拶をしないひで子さんにしては珍しく、6分ほど話した。感動的な内容だったので、ここに再掲しよう。

「ありがとうございました。57年間、裁判をやってきました。私が33歳、巖が30歳の時でございますから70年、90歳でございます。もっと早くこうならなかったかとも思いますが、そんなことはどうでもいいんです。

 巖も出てきてくれました。2014年に村山(浩昭)裁判長さんの決定で。それから9年が知らないうちに過ぎました。(私は)33歳からはにこりともしない、さぞおっかない顔していたと思います。笑う気にもならなんだ。歌番組も見もしない。

 それが、巖が出てきてからやたらにこにこするようになりました。私は元々にこにこする性格なんです。9年前に逆戻りして『にこにこのひで子』でございます。弁護士さんや皆様のおかげで私は日本の中でにこにこしておられます。なんて幸せな人生でしょう。巖のことは、私は運命と思っています。辛い、悲しいなんて言ってる暇がなかった。

 巖は相変わらずむっつりしていますが、今日この頃は少し変わったようです。『再審開始になったよ、安心しな』と言いました。『よかった』とも言わないが本人は当たり前と思ってる。昔、『当たり前』と言ってました。事件のことは言わないようにしてたけど、新聞見ますし、自分の顔、載ってたし。巖宛てに14日に決定書が送られて、『安心しな』と見せました。半年や1年かかるかもしれませんが、これからが正念場です。よろしくお願いいたします」

「龍との戦い」を繰り返す

 続いて遅れて到着した巖さんが登壇。司会進行の山崎さんが「巖さん、ここにいる人たちはみんな巖さんの無実を信じてきた人たちなんですよ。何か話してくださいね」と温かく語りかけた。

「袴田巖でございます。3月に最高裁長官に昇格いたしました。龍の問題について頑張っています。たくさん問題がありますが、死刑をなくすことができるか。龍の問題について、龍が居なくなる。龍との戦いでございます。条件があります。お任せできるか。頑張ろう、龍との戦いでございます。協力なしにはできないのでよろしく」と話し、横で心配そうに見守ったひで子さんと共に降壇した。

 その後も何人かが登壇したが、現役ヘビー級ボクサーの市川次郎氏(57)は「巖さんの発言、メモしましたが見事に三行詩になっている。龍がいなくなる、龍との戦い、協力が必要。龍が検察だとお判りでしょう。巖さんはわかっていると思いますよ」と評価した。

 巖さんは「リュウ」と「タツ」と読み方を使い分けるようで、この日はリュウ。昨年12月に高裁の大善裁判長と面会した時は「今はタツの時代です」と言っていた。

 喜びのニュースを見て駆け付けた人たちの中には、この連載の11回目で詳しく紹介した渡邉昭子さん(87)の姿があった。ボクサーを引退した巖さんがボーイとして働いていた清水市のキャバレー「太陽」でドラムなどの演奏を担当していた渡邉蓮昭さん(故人)の妻である。

 若き日の巖さんをよく知る彼女は、「巖さんはちょっとおなかが出ていて、私たち夫婦は『おなかちゃん』と呼んでいました。事件後すぐにやってきた警察が、『袴田巖の写真はないか?』と言って私のアルバムから袴田さんの写真を剥がして持って行ってしまった。いまだに返してくれていないんですよ」などと話した。彼女はそのアルバムを持参し、報道カメラが引っ剥がされた部分を撮影していた。静岡県警が彼女の家に来たのは事件直後だ。さっさと他の可能性を排除して巖さんを犯人と決めてかかっていたことを如実に示している。

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