【袴田事件】死刑執行を停止させた森山法相発言 その裏にあった巖さんと社民党議員との珍妙な会話

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 2月6日、日本プロボクシング協会の袴田巖支援委員会の呼びかけで、東京都千代田区の日比谷公園にボクサーらが集結した。1966年に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巖さん(86)の再審開始を求めるためだ。一方、巖さんを死刑台から救出するため、古くから政治家も尽力してきた。巖さんと姉のひで子さん(90)の再審開始を目指す戦いを綴る連載『袴田事件と世界一の姉』の30回目は、世田谷区長の保坂展人さん(67)に話を聞いた。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

続々とボクサーたちが演説

 全国組織のスポーツ団体が一丸となって国家権力に弓を引くのは稀有なことだ。普通なら、たとえ仲間が無実だと信じても、国から何らかの不利益を被ることを恐れ、表立った支援は控えるもの。だが日本プロボクシング協会(小林昭司会長)は肝が据わっていた。

 2月6日、日本プロボクシング協会の袴田巖支援委員会の呼びかけで日比谷公園に集まったボクサーらは、東京高裁前に移動した。

「我々の大先輩である袴田さんの無罪を訴えていきたい」と切り出した新田渉世(しょうせい)委員長(55)の司会で、現役王者や元王者らが次々とマイクを握った。

 前WBO世界フライ級王者・中谷潤人さん(25)は「僕自身も再審開始と無罪判決を願っています。想いを届けられたらと思います」と語り、女子WBO世界アトム級王者の鈴木菜々江さん(30)は「再審必ず無罪になることを心より願います」と話した。

 新田委員長とともに熱心に袴田さんを支援する元日本ジュニアフェザー級王者の真部豊さん(54)は「ご存じの通り、袴田さんは冤罪です。必ず無罪を勝ち取って自由にしましょう」と語った。元OPBF東洋太平洋クルーザー級王者の高橋良輔さん(50)は「一人の日本国民に対する基本的人権の侵害と思います。心ある裁判官の心ある判決をお願いします」と訴えた。日本のヘビー級の草分け的存在の市川次郎さん(57)は、犯行着衣とされたズボンが小さすぎて穿けなかった控訴審での巖さんの実験写真を手に、「検察は証拠の捏造で袴田さんを殺そうとしているんです」と訴えた。市川さんは袴田事件のバイブル的存在である『地獄のゴングが鳴った』(高杉晋吾・著/三一新書)を読んで巖さんの無実を確信したという。

 リングアナウンサーの須藤尚紀さん(60)は「私はよくアナウンスを間違えましたが、すぐに訂正しました。袴田事件では間違いとわかっても直そうとしないことが最も悪い」などと話した。

 第一次再審請求が棄却された2014年 にオープン間もない川崎新田ジムの練習生となり、新田委員長に袴田事件のことを教えたFさんもマイクを握った。Fさんは「今日は大善(文男)裁判長の別の裁判があるはず」と話し、「裁判長、聞いていますか」と庁舎に向かって大声を上げた。

「ボクサーくずれ」という差別

 巌さんは1957年、故郷・静岡県で開催された国体のボクシング競技で活躍し、その後、プロ入りした。フェザー級で国内ランキング6位に入ったが、体調を崩してまもなく引退。当時の巖さんは「根性があり打たれ強かったが、性格が優しすぎてKOのチャンスに相手を追い込めず、逆転されるなど損をしていた」と評される。

 引退後、清水市(現・静岡市清水区)でバーを経営したが失敗。同市の味噌製造会社・こがね味噌の従業員として働いていた1966年6月、橋本藤雄専務の一家4人が殺された。

 新田委員長は「袴田さんは、いつ死刑台に上がれと言われるかわからない恐怖で拘禁症となり普通の会話ができなくなっていた。でも、面会できた僕がフックの打ち方などボクシングの話をするとちゃんと会話できたので、会う時はボクシングの話をするように努めました」と振り返った。

「袴田巖さんを支援する静岡・清水市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹事務局長もマイクを持ち、「袴田さんは清水の串田ジムでプロとしてボクシングを始めました。引退後も串田(昇)会長(99)には『現役復帰してボクシングやりたい』と話していたそうです。釈放後、ジムがあったあたりを一生懸命歩いていました。ボクシングが彼の人生だったんです」と紹介した。

 1960年代の日本のボクシング界は、ファイティング原田さん(79)や海老原博幸さん(1940~1991)などが人気を博した反面、ボクサーへの差別意識も根強かった。静岡県警の捜査報告書にも巖さんのことが「ボクサーくずれ」と記載されている。

 ボクシングは当時、愚連隊など荒くれ者が好むスポーツのようにも見られた。巖さんの姉のひで子さんは「巖がボクシングではなくて柔道か剣道をやっていたら逮捕なんてされなかったのでは」と打ち明ける。

 昨年、筆者の取材に応えた元世界王者の輪島功一さん(79)は「引退した選手は『ボクサーくずれ』なんて言われて馬鹿にされていた。俺は『ボクシングをやっていた男なら人を殺すんか?』という気持ちだった」と話してくれた。輪島さんは2019年6月に東京高裁で再審開始が取り消された際、怒りの記者会見を開いている。

「ボクサーくずれ」という差別への怒りも込め、ファイティング原田さん、具志堅用高さん(67)、輪島さんら名ボクサーがリング上からも巖さんの無実を訴えてきた。この日、ボクサーたちの熱意に打たれ、記者時代にボクシング取材もしていた筆者までがマイクを握ってしまった。

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