【袴田事件】死刑執行を停止させた森山法相発言 その裏にあった巖さんと社民党議員との珍妙な会話

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死刑執行停止に繋がった面会

 珍妙な会話だったが、これが後に重要な役割を果たす。この会話を同行していた死刑廃止活動をしていた学者の女性が書きとめ発表した一文が、森山真弓法務大臣(1927~2021)の目に留まった。

 2003年3月の法務委員会で、森山大臣は「袴田さんは獄中で心の調子を乱しているようです。精神に異常をきたしている」といった趣旨の発言をし、これは当時の法務委員会の議事録に記されている。

「このひとことが決定的でした。これで袴田さんの刑の執行自体はなくなったんです」と保坂さんは振り返る。死刑執行の最終的な判を押す役目の法務大臣がそこまで言及している以上、刑は執行できない。これは刑事訴訟法の479条に「死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態に在るときは、法務大臣の命令によつて執行を停止する」と規定されているからである(女子の死刑囚の場合、妊娠中は執行されない)。

 当時の巖さんの状態について保坂さんは「長期の勾留と死刑執行の恐怖で相当人格の深い所に精神のバランスの崩れが根を下ろしている」と述べる。その後、何度か試みた面会は実現しなかった。それだけに貴重な面会を実現させた保坂さんの功績は大きい。

「袴田さんは疑問だらけの冤罪事件で死刑宣告され、裁判に絶望して自らの妄想で架空の世界を作り上げ、そこに籠った。自分にとって良い知らせであっても、弁護士にも会わなくなり、再審の場で証言する等の権限の行使もできなくなっていた。袴田さんは冤罪で囚われただけではなく、死刑執行の恐怖に長くさらされた結果、自分が何者かも、どういう状態かもわからなくなる状況に突き落とされている。あの日の面会のことが報道され、世界中の人権に関心を寄せる各国に関心を持たれた。私も各国の大使館に呼ばれて話を聞かれました」(同)

 現在の状況については、「静岡地裁による再審開始決定後も結論が出ないままの袴田さんは宙ぶらりん状態です。とはいえ、人間には寿命がある。袴田さんが元気に生きている間に無実が晴れる瞬間を我々は待っているのですが、冤罪事件では裁判で結果が出るまでに時間を稼がれて亡くなっている人は多い」と語る。

 保坂さんはその例として波崎事件(註)を上げる。

「冤罪被害者の富山(常喜)さんも、最後に倒れてしまった。拘置所のICU(集中治療室)に同行した医師が『こんな状態なら感染症で亡くなる。うちの病院に来れば治せる』と進言したが、拘置所が許可せず亡くなったんです。当事者が亡くなると事件の真相が問われなくなり、人々からも忘れられる。結果、冤罪の責任や構造もうやむやになってしまう」と保坂さんは危惧する。

ひで子さんは強い女性

 保坂さんは2009年の衆院選で落選し、その後、2011年に世田谷区長選に当選した。

「2007年頃には『再審開始になるだろう』と弁護団も予想していた。その時、再審開始で保釈されたらどうやって迎えに行こうかとか、そんな話していた。出てきてくれないと保釈の手続きもできない。結局、その時は再審開始の決定はなかった」(同)

 当時のひで子さんの印象について保坂さんは「いつもしっかりされて落ち着いていたけど、弟さんに会いたい気持ちがやはり強かった。会えた時は安心した様子でした。ひで子さんはその後、何十回も拘置所に通ったが、再び会えない状況になった。それでも落胆せずいつもマイペースでいらっしゃいました。強い女性でした」と感心する。

 今年2月に90歳になったひで子さんに当時のことを伺った。

「畳を交換するとか、うまく言って巌を連れてきてくれました。巖は私のことを『偽物の姉だ』と言ったり、もう、とんでもないことばかり言っていましたね。保坂さんが上手に話を切らせないでくださいました。本当に保坂さんのおかげでしっかりと面会できたのです。ありがたかったですよ」と感謝しきりだ。

 面会に同席した山崎俊樹事務局長も「保坂さんの話術の巧みさには感心しましたよ。なかなかできることではないですね」と振り返った。

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