【袴田事件】まもなく再審可否決定 「警察の捏造」と確信していた女性弁護士が明かすその手口

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報道に左右された裁判官

 事件の発生当初、犯行時の着衣はパジャマとされていた。袴田さんが放火に使ったとされる混合油が鑑定でパジャマから検出されたというのだ。

「パジャマをガスクロマトグラフィー(液体試料をガス状にして測定する分析法の一つ。極少の試料でも測定できる)で調べたところ、混合油が検出されたと警察は主張しました。それを当時のマスコミは『科学捜査の勝利』ともてはやした。裁判官も報道に左右されたのでしょう」

 その一方で、「血染めのシャツ」などと報道されたパジャマからは、実際はほとんど血痕が検出されなかった。

「血痕が少量過ぎて再鑑定は不可能でした。警察は、パジャマは証拠としては不十分だと思っていたのでしょう。それで急遽、犯行着衣を5点の衣類に変更しました」

 4人を惨殺した凶器とされたクリ小刀に関しても疑問が残る。

「袴田さんがクリ小刀を買ったとされた沼津市の菊光金物店で、捜査員が袴田さんの写真を見せて『この男だろ』と女性店主に言っている。袴田さんは週末には必ず清水から浜松の実家に帰って、可愛がっていた息子と遊んでいたんです。沼津まで買いに行った形跡などありません」

 巖さんが穿いていたとされたブリーフにはB型の血痕が付いていたが、その上に着ていたステテコにはB型の血痕はついていない。殺された橋本藤雄専務の妻・ちゑ子さんの血液型がB型である。

「返り血を浴びたとされた袴田さんの犯行着衣は、下着のほうが上着よりもずっと多く血が付いているという不自然さ。そんなことが起こるはずはありません。犯行時に袴田さんが怪我をしたという腕の傷も上着の穴の位置とずれていて、おかしいんです」

 巖さんは1966年9月6日の午前10時頃に自白したことになっている。

「でも、自白した時の肝心な部分の(録音)テープがない。『袴田、袴田、袴田……』と繰り返したりする取調官の声ばかり。袴田さん自身の声はほとんどない。開示されたテープからは自白したとは言えない。警察の捜査記録にも『自分がやった(殺した)という暗示にかける』なんて書いてあるんですから、ひどいものです」

徳島ラジオ商殺し事件の経験

 田中さんが袴田事件を警察の捏造と確信していたのには理由がある。駆け出し弁護士の頃、「死後再審」として有名な「徳島ラジオ商殺し事件」(註3)に関わっていた経験が影響している。

「女性の事件だから参加してくれないかと誘われて、開示された証拠を調べました。そうすると、警察の捜査は最初は外部犯行説だったのに、住み込み店員の供述でころっと内部犯行説に変わり、富士茂子さんが犯人に仕立てられていた。その過程を見て、警察捜査にインチキがあることを知りました」

 静岡県では当時 、在日韓国人が犯人に仕立てられた「丸正事件」(註4)という事件があった。

「あれも冤罪事件だと思います。『警察が捏造なんかするはずがない』と言う司法関係者は多いですが、彼らは何でもやってくるんだと私は思っていましたね」

 一方で、袴田事件では弁護団の対応も十分ではなかった。

「信じられないけど、当初の弁護団と袴田さんとの接見時間は、起訴までの20日間で3人合わせてたった37分だったんです」

 有罪になれば死刑間違いなしの依頼人が無実を訴えているのにもかかわらず、この短さは考えられないことだ。当時は「接見指定」によって1回15分の制限があったとはいえ、当初の弁護団が巖さんの無実を信じていなかった節もうかがえる。

「村木厚子さん(2010年の郵便不正事件の冤罪被害者)の弁護団は、毎日接見に行ったと聞きます。私が弁護した無実を訴えていたある被疑者には、20日間の勾留中17日会っていましたよ」

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