【袴田事件】再審請求の審理終了、西嶋弁護団長が心境を語る「裁判官は腹を括ってくれるかもしれませんが…」

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「すでに90歳になっていた」ひで子さん

 さて、浜松市で巖さんと暮らす姉のひで子さんに、年末年始の過ごし方を聞いた。

「SBS(静岡放送)が元旦に取材に来るというから、それなら大晦日にしてくださいと言って、12月31日の昼頃に来てもらいました。1日早いおせちを食べているところなんかを撮影していましたね。元旦から見守り隊の人が来てくれて、車で巖を連れ出してくれました。でも、店はみんな閉まっていて、いつもより早く帰ってきてしまいましたよ」

 2月8日には90歳になるひで子さん。

「本当は12月8日(1933[昭和8]年)に生まれたんですけど、どういうわけか祖父や祖母が役所に出生を届けるのが遅れてしまって、2カ月も経ってから届けて2月8日になったんですよ。あの時代は、そういうことがよくあったんですよ」

 そういえば以前そんなことを聞いたような気がする。

「それならひで子さんは、実際はすでに90歳になっているんですね」と向けると、「そうなんですよ。だから私はずっと、2カ月歳をサバ読んでたんですよ」と朗らかに笑った。

註1:小石川事件
2002年8月、東京都文京区のアパートで一人暮らしの84歳の女性が遺体で発見された。事件から約4カ月半後、このアパートに暮らす伊原康介氏が「強盗目的で殺した」と「自白」。無期懲役刑が確定し、千葉刑務所に収監されたが、2015年、東京地裁に再審を請求。判決で伊原氏は、アパート2階に住む女性の居室を物色中、気づかれた女性の口にタオルを押し込んで窒息死させ、現金約2000円入りの財布を奪ったとされた。有罪の根拠は、【1】被害者宅の瓶から指紋が出た、【2】アリバイがない、【3】外部から侵入した形跡がない、などの状況証拠と「自白」のみ。弁護団鑑定では被害者の手指や着衣から伊原さんの着衣の繊維は検出されず、物色したタンスに指紋はなかった。弁護団は「殺人を認めれば別件は起訴しない」との利益誘導や脅迫を受け、取調べ警官から暴行を受けての「自白」は任意性も信用性もない、状況証拠は弱く伊原氏を犯人とすることはできないとする。日弁連は「支援すべき冤罪事件」と位置づける。

註2:大崎事件
1979年10月、鹿児島県大崎町で当時42歳の男性の遺体が発見された。被害者の隣に住む長兄と次兄が殺人と死体遺棄容疑で、次兄の息子で甥が死体遺棄容疑で、長兄の妻が殺人と死体遺棄容疑でそれぞれ逮捕。主犯の長兄の妻が長兄・次兄・甥とともに保険金目的で被害者の殺害を企てたとして起訴され、それぞれ有罪が確定した。しかし、死亡原因は殺人ではなく転落による事故で殺人罪は冤罪であるとの主張があり、再審請求が続けられている。

註3:ロス疑惑
1981年11月、米ロサンゼルスで当時28歳の女性が銃撃され死亡した。夫で貿易会社社長だった三浦和義氏は、妻を病院へ搬送するため米軍のヘリコプターを要請し、涙ながらに蘇生を願う献身的な姿が美談とされた。ところが、翌年1月から「週刊文春」が多額の保険金をかけて三浦氏が妻を殺した疑惑を報道。三浦氏は84年に警視庁に逮捕され、殺人罪などで起訴。一審では有罪が認定され無期懲役となったが、二審では「証拠不十分」などから無罪となり、2003年に最高裁に無罪が確定した。一方、事件の3カ月前に三浦氏が知人の女優に妻の殺害を依頼し、女優がハンマーで襲った「殴打事件」では、殺人未遂で懲役6年が確定し、服役した。出所後はテレビ出演などをしていたが、2008年、サイパン島に滞在中、日本では無罪が確定した事件について、アメリカ捜査当局に殺人罪及び殺人の共謀罪の容疑で逮捕された。三浦氏はロサンゼルスに移送されると、まもなく獄中自殺した。享年61歳。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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