元阪神・遠山奨志、「投手→外野手→投手」転向を重ねて…松井キラーで復活した“異色の野球人”

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“超高校級左腕”

 投手としてプロ入り後、打者に転向して成功した選手は数多い。古くは西沢道夫や川上哲治。柴田勲や愛甲猛のように、甲子園優勝投手が1軍登板後、打者に転向した例も少なくない。平成以降の打者転向組でも、糸井嘉男、石井琢朗、雄平らの名が挙がる。だが、投手から打者転向を経て、再び投手に戻って成功した選手となると、滅多にお目にかかれない。【久保田龍雄/ライター】

 そんな異色の経歴を持つのが、阪神時代に“松井秀喜キラー”としてならした遠山奨志(本名・昭治)である。

 1986年に八代一(現・秀岳館)からドラフト1位で阪神に入団したノーヒットノーラン11回の“超高校級左腕”は、同年4月27日の中日戦で1軍デビューを飾ると、5月14日の広島戦で5安打2失点完投のプロ初勝利。高卒ルーキーの完投勝利は、球団では江夏豊以来19年ぶりの快挙だった。

 6月20日の中日戦では、投球中に鼻血を流すアクシデントにもかかわらず、これまた江夏以来となる高卒1年目の初完封を記録。鼻血の発見者であるバースを「若いんだね。精力が余っているのかな。オレなんか鼻血が出るほど血も余ってないよ」と脱帽させた。

“江夏2世”

 速球は130キロ台ながら、制球良く決まるカーブと打者の手元でスライドするカット・ファストボールを有効に使い、とても18歳とは思えないマウンド度胸を見せた“江夏2世”は、試合後のコメントにも大物感が漂っていた。

「(完封を)飛び上がって喜びたい?」の質問に対し、「そりゃあ、飛び上がりたいですよ。でも、そんなことしたら、何を書かれるかわかりませんよ。余分なことしなくていいんです」とキッパリ。

 その一方で、“アンチ巨人”を公言し、「(江川卓の)空白の1日や(清原和博を振って桑田真澄を指名)あのやり方が横暴。あんなやり方しかできんジャイアンツが嫌いですねん」と負けじ魂を燃やした。

 エース・池田親興が5月に故障離脱、前年13勝のゲイルも不調という苦しい台所事情のなか、遠山は先発陣の中心として8勝5敗の好成績。ファンは“トラの新エース”と期待した。

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