「オレの結婚は何だったんだ。そんな気持ちです」 不倫がバレた43歳男性が語る“再構築”できなかった夫婦仲の結末

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「加害者だから何も言えない」

 本気で恋した夫を前に、妻の感情は冷めるばかりだったのかもしれない。だが家庭を失うことは、世間体も含めて耐えられなかったのだろう。こずえさんは、夫の姉にもすべて話したらしいが、彼女が期待する反応はなかったようだ。

「うちの姉はバツ2で、3度目の結婚をしている自由人なのです。そんな人に言ったって、こずえが満足する答えが返ってくるはずもない。でもこずえは不満だったでしょうね。姉は『思い切り則晃をぶん殴ってすっきりしなさいよ』と妻に言ったそうです。もちろん、そんな感情的な行動を妻はよしとはしませんが」

 少しずつ話し合い、少しずつ歩み寄るしかない。則晃さんは腹を据えた。時間があれば家事に取り組み、息子と一緒に台所にも立った。妻は息子には「料理を作るより、勉強しなさい」と言い放ち、雰囲気をぶち壊した。

「男2人で、きみに食べさせたいから作ってるんだよ、少しは歩み寄れよと言ったら、黙って食べていましたけどね。息子はぶんむくれていましたから、あとで息子の部屋に行って、『ごめんな。お父さんとお母さんがケンカしているからきみにまで迷惑をかけて』と謝りました。人間同士だからケンカすることもある。だけど仲直りしていく過程を見せるから、何か感じ取ってほしいとも伝えました。すると息子は『もともとそんなに仲がいいわけではないじゃん』って。10歳の子なのにすべてお見通しなのだなと思いました」

 1年たっても事態は進展しなかった。妻の口数は少し増えたがよそよそしさは消えない。いったいいつまで我慢すればいいのかと則晃さんも苛立ったが、「加害者だから何も言えない」と思うしかなかった。

息子の「離婚すれば」の一言に…

 その後、家事をやろうが、妻の好きなケーキを買って帰ろうが、ほとんど事態が改善しないことが虚しくなり、則晃さんは週の半分くらいは、妻子が寝ついてから帰宅するようになった。息子には会いたいが、妻の不機嫌そうな顔を見るのが嫌だったのだ。

 今年の春、夕飯を食べながら息子が急に言った。

「無理矢理仲良くしないで、離婚すれば、と。僕がいるから離婚できなかったってあとで言われたくないんだよって。『何言っているの』とこずえは慌てていましたが、僕は『わかった』と答えました。これ以上、この関係を続けていてもしかたがない。夜、妻に『もう無理なら無理と言ってほしい』と頼みました。お互いに先を見よう、希望がない人生は虚しくてたまらないとはっきり言ったんです」

 妻は「3日だけ時間をちょうだい」と言った。そして3日後、「わかった、離婚しよう」と離婚届を差し出した。

「正直、びっくりしました。やり直すと言ったはずなのに、どうしてこういうことになるのかわからない。『私が出ていくから』と妻は言って、本当に数日後、出て行ったのです。帰宅したら妻の置き手紙があった。息子と2人、あっけにとられました」

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