死刑囚に「プライバシー」「表現の自由」「心の安寧」は認められるのか 百田尚樹氏は激怒している

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死刑囚のプライバシー

 8月29日、共同通信が伝えたところによると、東京拘置所に14年間収容されている男性が、プライバシーの侵害を理由に国に1900万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたのだという。

 殺人罪などで死刑判決が確定したこの男性の部屋の天井には監視カメラが設置されており、それが納得いかない、ということのようだ。

 もちろん死刑囚であろうが誰であろうが人権はある。また裁判を起こす権利もある。

 とはいえ、この訴訟について聞いて何となくモヤモヤした気持ちになる方もいるのかもしれない。

 この種の死刑囚による訴訟、あるいは問題提起は時折話題になる。世間を騒がせたニュース、人物について取り上げた百田尚樹氏の新著『人間の業(ごう)』でも、「死刑囚の権利」について二つのケースを挙げて論じている。

 それぞれのケースと百田氏の見解を抜粋、引用して紹介してみよう。

死刑囚の表現の自由

 最初のケースは2021年7月に33歳の死刑囚が起こした訴えで、「拘置所内で色鉛筆の使用を認めないのは憲法の定める表現の自由を侵害する」というもの。

 訴えたのは自宅で生後5カ月の子、妻、義母を殺害し、2014年に死刑が確定した男。一審で死刑判決が言い渡されたころから拘置所内で色鉛筆を使って絵を描くようになっていた。その絵を絵はがきにして売った収益は遺族への被害弁償金に使っていたという。

 が、ある時期から色鉛筆や鉛筆削りの持ち込みが禁じられたため、それを不満に思って提訴したのである。

 これに対して百田氏はこう憤る。

「これを聞いてどれほどの善良な国民が『なるほど、それはもっともだ。これからも彼の要求を認めるべきだ』と思うのでしょうか。(略)

 3人も、それも1人は生まれたばかりで、この世の楽しいことを何一つ経験することなく命を奪われたのです。こんな男に“心の平穏”が必要なのでしょうか。さらに“表現の自由”とは人権を持つ人間が言うことです。

 厳しい言い方ですが、死刑囚がいっぱしに人権を語ることからして違和感があります。なぜなら、死刑は人権の根幹ともいうべき『命』を国が断つものです。対象のそれを認めていては矛盾が生じ、執行ができなくなってしまいます。弁護士らは『償いの色鉛筆を取り上げないで』と言っていますが、色鉛筆が無ければ反省できないのであれば、反省などしていただかなくて結構です」

死刑囚の心の安寧

 色鉛筆を使う権利はかなりこの死刑囚独自の訴えであるが、より本質的な訴えを起こした死刑囚もいる。同じ2021年、2人の死刑確定者が大阪地裁に慰謝料2200万円の支払いを求めて訴えたのは、「死刑執行を当日に通知するのは異議を申し立てることができず違法だ」というもの。事前にわからないと、毎日おびえ続けなければならない、という主張のようだ。

 この提訴に対しても百田氏は極めて厳しく批判を加えている。

「今回の原告は“確定”死刑囚です。すでに異議をはさむ余地はないのです。死刑は刑が確定してから6カ月以内に執行しなければならないと定められていますが、そのほとんどは6か月を超え現在最長は50年以上も未執行となっており、そちらの方が違法なのです。

 本来ならとっくに執行されこの世とおさらばしていないといけないところを生かされているだけでもありがたいのに、こんな告知日うんぬんでいちゃもんを付けるのなら“確定から30日目”など、改めて告知する必要がないようにしておけばいいのです。

 原告代理人は『死刑確定者は、毎朝死ぬかもしれないとおびえている。執行1~2時間前の告知での執行は極めて非人間的だ』と話していますが、なら死刑囚は人を殺すとき、事前に通告し“異議申し立て”を認めたのでしょうか。何の罪もない人を己の身勝手で有無を言わさずあやめておきながら、よくもぬけぬけと『心の準備ができていない』なんて言えたものです。そのうえ『慰謝料を払え』だなんて、こんなふざけた提訴を裁判所が受け付けるとはとても思えませんが、この期に及んでまだ自身の権利を主張する死刑囚には反吐(へど)が出る思いです。

 国が命を奪うことを決定した死刑囚に権利なんていっさい認められないのです。死刑囚に唯一できることは被害者やその遺族に自身の『死をもって償う』ことだけです。それがいやなら“死刑囚”になんてならなければいいのです」

 死刑囚側、支援者側にはそれぞれの論理や主張があるのだろう。ただ、百田氏の主張にうなずく人も少なくないのではないか。死刑囚のプライバシーについての氏の見解は聞くまでもなさそうだ。

デイリー新潮編集部

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