「吐き気がしそう」 百田尚樹氏が「24時間テレビ」を批判する理由

社会2018年8月30日掲載

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 日本テレビの夏の恒例行事は「24時間テレビ」。放送の度に賛否両論が沸き起こるのもまたすでに恒例となっている。今年は史上最も過酷なミッション(遠泳+自転車+マラソン)を与えられた芸人のみやぞんが見事それをクリアしたのだが、そのことに対しても「そもそも何の意味が?」というツッコミ、疑問がネット上を中心に提起されていた。

 ベストセラー作家の百田尚樹氏もまた、同番組に対して厳しい見方を示す一人だ。百田氏はツイッター上で次のようにコメントを寄せている(8月26日)。

「24時間テレビ、今年もやってるのか。
 莫大なギャラを貰ったタレントが、子供たちに一生懸命にためたお小遣いを持って来させるクソ番組。
 この日はテレビ局も大儲け。
 誰が見るねん、こんな番組!と思ってたら、ようけ見てるんや、これが。
 感覚がおかしいのは私の方なのか……」

「24時間テレビの障碍者ドキュメンタリーを担当する某テレビ局の企画内容を聞いたことて(※原文のママ)吐き気がしそうになったことがある。
 プロデューサーの『絵になる障碍者を探してこい』という指令でブレーンが障碍者を探すところから始まる。
『絵になる』とは、映像的に効果がある、という意味のテレビ業界用語」

 何とも辛辣だが、実はこの一件について百田氏は、著書『大放言』の中で、さらに詳しく論じている。以下、『大放言』の中の「チャリティー番組は誰のため?」から、一部を抜粋して引用してみよう。

 ***

絵になる障碍者

 私が一番嫌なのが、系列局が作った「障碍者ドキュメンタリー」が挿入されるところだ。私もテレビ業界の端くれにいる人間なので、そのドキュメンタリーの制作の内側をある程度知っている。

 まずリサーチャーが集められ、プロデューサーから「ドキュメンタリーになりそうな障碍者を探してこい」と命じられる。リサーチャーたちが方々駆けずり回り、「障碍を持ちながら、頑張って何かに取り組んでいる人たち」を見つけてきて、会議に出す。プロデューサーやディレクターや構成作家たちがそのリストを見ながら、撮影対象者を選ぶ(中略)

 ここからはあまり詳しくは書けないので、読者に推し量ってもらいたいのだが、要するに映像を見てすぐにどんな障碍を持っているかがわかるのがベストということだ。あと、軽い障碍よりも重い障碍(ただしあまりに重いと深刻すぎてだめ)、大人よりもこども、男性よりも女性のほうが「絵になりやすい」と考えられている。そこに周辺の家族のドラマがあればよりいい。そして障碍者が取り組んでいるものは、ただの日常生活ではだめ、できればスポーツや音楽や芸術関係が望ましい。他にもいくつかポイントがあるが、皆で意見を出し合って、最終的にはプロデューサーとディレクターが「絵になる」障碍者を選ぶというわけだ。

 本来、ドキュメンタリーとは、「『ハンデを背負って生きている障碍者』の存在を知った番組関係者が、彼あるいは彼女が懸命に頑張っている姿に感動して、その生き様を多くの人に知ってもらいたいため」に作るというのが形のはずだ。しかし某番組はそうではない。「チャリティー番組」として放送するために障碍者を探すという本末転倒な作り方をしているのだ。そのためにリサーチャーに何人もの候補者を探させ、それを「絵になる」という基準で取捨選択するという姿勢は、私にはとても受け入れられない。

 その番組は全国の系列テレビ局の多くが制作に参加する。ここだけの話、構成作家のギャラも通常よりはかなりいい。実は私も過去に系列局から何度か声をかけられたが、すべて断ってきた。チャリティー番組をやるなら構成作家はギャラを受け取ってはならないと思っていたからだ。「もらったギャラを寄付すればよかったのでは?」と言われればそうなのだが、そこまでしてやりたい仕事ではなかった。

偽善は堂々とやってほしい

 もっとも、視聴率の高い番組内で放送されることによって多くの人が障碍者の実態を知り、彼らを支援していこうという輪が社会全体に広がるのは間違いない。ボランティアや寄付は多かれ少なかれ偽善だという極論もある。何より大事なのは結果である、と。

 番組全体を見ても、多額の寄付が集まるのはたしかだ。それらは実際に貧しい人たちや恵まれない人たちを助けることになる。ふだん寄付なんかあまり行なわないようなスポンサー企業も、この日ばかりは企業イメージアップのために多額の寄付をする。だから番組の社会貢献度は非常に高いと言えるし、放送する意義も意味もあるいい番組だと思っている。もしテレビ局がこの日1日の収益(CM料金)から経費を差し引いた分のすべてを寄付に回していたら、私は両手を上げて番組を絶賛していただろう。

 地上波の電波は総務省の認可を受けているとはいえ、実質的には数局の独占事業である。民放キー局は収益から見ればタダに近い電波利用料で「公共の電波」を自由に使い、莫大な利益を得ている(電波利用料の約500~800倍!)。キー局および準キー局の局員の給与はあらゆる業種の中でも群を抜いて高いし、有名タレントの高額ギャラは庶民感覚を超えている。その恩恵のお返しの意味でも、1年に1日くらいは採算を度外視したチャリティー番組を放送してもいいのではないか、というのが私の素直な気持ちである。逆に儲けてどうするのだ。番組そのものは素晴らしいだけに、惜しいと思う。

杉良太郎氏に痺れた

 慈善を訴えるなら、まず自らがそれを行なってほしい。

 それで思い出すのは杉良太郎氏の行動だ。人気俳優である杉氏は若い頃から慈善活動をしているのはよく知られている。毎年、私財を何千万円もなげうって恵まれないこどもたちや障碍を持った人たちに寄付をしている。親のないベトナムの孤児を70人以上も養子にしている。

 先の東日本大震災でも、杉氏は妻(伍代夏子氏)や事務所のスタッフらを引き連れて被災地を訪れ、車両12台(20トントラック2台、タンクローリー車1台、冷蔵・冷凍車2台、その他の車7台)で、多くの救援物資を届け、杉氏自身が味付けしたカレーライス5千食、豚汁5千食、野菜サラダ3千食を被災者に提供した。さらに水2トン、男女下着類4千枚、歯みがきセット1万セットなども持ち込んだという。はたしてこれがどれくらいの費用になるかはわからないが、1億円は優に超えるだろう。

 杉氏がこれまでに慈善活動に費やした金額は数十億円と言われる。驚くべき額である。簡単にできることではない。そんな杉氏に、「偽善だろう」という言葉を投げつける人が少なくない。あるインタビューでそう聞かれたときの杉氏の答えがふるっている。

「ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億円を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億円を出して名前を売ったらいいですよ」

 痺れるくらいかっこいいセリフである。

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 表現はキツいが、よく読めば百田氏は決して番組を全否定しているわけではないようだ。おそらく来年もまた放送されることになるだろうが、こうした声は考慮されているだろうか。

デイリー新潮編集部