ヤクザから16歳で覚醒剤を教えられ…33年間やめられず廃人寸前まで堕ちた55歳女性YouTuberが語る薬物依存の恐怖

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「トゥナイト」にも出演

 酒をいくら飲んでも酔わないし、朝まで平気で起きていられる。接客が格段に楽になった。やがて、男たちと関わるのが嫌になって巣鴨の寮付きのキャンパスクラブ(後のキャバクラ)へ。だが、薬物を入手するために元のアパートへの出入りは続けていた。

「打つ量はいつもセーブしていました。一回で1グラムを10回くらいに分けるような使い方です。あの頃は、自分ではいつでもやめられるって思っていて、むしろ、やめようと思わないようにしていた。タバコも同じで、やめようと思えば逆に吸いたくなっちゃうじゃないですか」

 だが、気づけば睡眠薬のハルシオンも併用するほどのヘビーな薬物中毒者になっていた。仕事は順調で、池袋、歌舞伎町と店を転々としたが、どこでも重宝された。雑誌のグラビアに載ったり、山本晋也氏の風俗街レポートで有名だったテレビ番組「トゥナイト」に出演したこともある。そんなステータスを維持するためにも必要なのはクスリだった。

 20歳半ばのころ、死にかけた経験がある。池袋のマルイでエスカレーターに乗っている時、急にチカチカと視界に星が現れ動悸が止まらなくなった。うずくまって腕を見てみると、異常なくらい毛細血管が浮き出ていた。通行人が「救急車呼びますか」と聞いてきたが、「大丈夫です」と振り切り、這うようにして帰宅。

 鏡を見ると、体がマネキン人形のように蒼白になっていた。もう一発入れたら治るんじゃないか。試してみると、かえって症状が悪化してしまった。

「風呂に入ったり、冷房で体を冷やしたり、あれこれやったけどまったく収まらなくて、一日中のたうち回っていました。このまま死ぬか、救急車を呼んで捕まるか、ギリギリのところでした」

子供たちが針を

 30歳で水商売から足を洗い、34歳で男児を出産。その後、別の男との間にも二人の男児を授かったが、いずれの父親も姿を消した。生活していくためには自分が働かなければならない。まだ小さい子供を母に預けて、運送会社の倉庫作業員の夜勤も始めた。つらい肉体労働で気を紛らわすのに必要としたのが覚醒剤だった。

「楽しいとかそういうんじゃないですね。いつもどうやって仕入れるか考えてしまう思考回路が出来上がってしまっているんです」

 1年ほどクスリを絶ったこともあるが、最後は「もうそろそろいいだろう」と売人に電話してしまうのだ。

「子供たちに隠れて夜中に起きてゴソゴソ注射器を取り出してトイレでこっそり打つ。買い物に出かけて帰ってきたら、子供たちが針を絨毯の上に挿して遊んでいたこともあった。さすがにあの時ばかりは罪悪感に苦しみました」

 気づくと売人の男と半同棲生活を送っていた。この男と出会ったのが運の尽き。男と大喧嘩して、パトカー20台がかけつける騒ぎを起こす。男には前科があったので、警察はすぐさま薬物を疑い二人を連行した。

「その時は私も居直って『するならしろよ』と尿検査を拒みませんでした。私が33年間一回も捕まらなかったのは、男と一緒にはまらず一人で楽しんでいたから。結局、男とクスリがセットになってしまったら、行き着くところまでいって破滅するしかないんです」

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