我こそ日本ナンバーワン? 開業150年、横浜を巨大都市にした「鉄道」の軌跡

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六大事業に見る「意識」

 横浜市では、1963年に飛鳥田一雄が市長に就任。飛鳥田は現在も伝説的な都市プランナーとして語り継がれる田村明をブレインとして起用し、横浜市六大事業に乗り出した。

 横浜市は戦前期より神奈川県と比肩するほどの力を持つ自治体となり、庁内には「神奈川県より格上」との意識が強い。

 そんな横浜市の意識は平成に入ってからも連綿と受け継がれている。筆者は地方自治や行政の取材をしていることもあり、神奈川県や横浜市の職員から話を聞く機会もたびたびある。そのときに、静かなる対抗意識を感じることはあった。

 2021年に実施された横浜市長選に元神奈川県知事の松沢成文氏が立候補していることからも、横浜市が特別であることを窺わせる。

 そんな意識が強いこともあり、六大事業は横浜市が全国に「我こそは、日本のナンバーワン都市」であることを全国へアピールする狙いが含まれていたことは想像に難くない。

 六大事業の中身を見てみると、みなとみらい21地区の機能強化をはじめ港北ニュータウンの造成、金沢地先埋立事業といった都市開発を主眼とした政策に軸足が置かれている。そして、それらに付随して市営地下鉄の建設や新交通システム・金沢シーサイドラインといった鉄道の整備計画が盛り込まれていた。

 都市開発に交通インフラの整備は欠かせない。六大事業の目玉ともいえる市営地下鉄の建設は、結果的に市電全廃と引き換えに進められた。古き良き時代を懐かしむ人にとって市電全廃は衝撃的な出来事として受け止められているが、実は地下鉄の建設計画は戦災復興期から検討されており、市電の全廃は既定路線だった。

 横浜市六大事業がスタートした当時の横浜市は、人口が約180万人。策定された計画には、300万を目指すことが謳われていた。当時は人口300万都市を大風呂敷と受け止める向きが強かったが、1980年代には軽々とクリア。その後も人口は増え続け、現在は約378万人となっている。

 横浜市は1972年に上大岡駅―伊勢佐木長者町駅間の開業を皮切りに、地下鉄路線網を拡大。そして、巨大都市・横浜市の地下鉄路線は市域だけにとどまず、1999年には藤沢市の湘南台駅にまで地下鉄を延伸。

 さらに、2030年をメドにあざみ野駅から川崎市の新百合ヶ丘駅までの延伸計画も進めている。これらは横浜経済圏に属する周辺のベッドタウンを取り込もうとする鉄道計画で、そこには横浜市の野心的な意図も見え隠れする。

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