真犯人が落としたのか?現金でパンパンに膨らんだ「黒革の財布」の謎【袴田事件と世界一の姉】

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都合が悪かった「黒革財布」の存在

 捜査本部が黒革財布を極秘にしたのはなぜか。この存在が暴露されると、すでに巖さんが強盗殺人犯であると決めてかかっていた捜査方針が大きく揺らぐからである。重要なハガキをさっさと処分すること自体が不思議だ。不思議というよりも、意図的としか考えられない。

 県警は、すでにマークしていた巖さんの行動を洗った。しかし、富士急バスに乗った形跡も、バス停近くに現れた形跡もまったくなく、巖さんと大金と礼状入りの黒革財布を結びつけることはできなかった。これで「財布と袴田巖は無関係」とするならわかるが、「財布は事件と無関係」としてしまう。無関係のはずはない。

 高杉晋吾・著『袴田事件 冤罪の構造』(2014年、合同出版)によれば、巖さんの弁護人だった斎藤準之助弁護士(故人)は1970年、黒革財布について不審に思い、当時の富士警察署の拾得物担当の女性を訪ねて経緯を聞き、探してもらった。この女性は吉原警察署で富士急バスから最初に届けられた時に中身を確認した人物である。この時は合併で富士見署に統合されていた。しかし、後日、「探したのですが見つからない」と返事された。

 実は警察はとっくに処分してしまっていた。

 そして、大金は拾い主に渡したという。バスに乗り込んで発見した21歳の男性である。捜査報告書はこう記している。

《なお拾得物関係書類の保存期間は一年であるため、右期間経過後、焼却した。特に昭和43年四月吉原署と富士署が合併し、現在の新築の富士警察署庁舎へ移転する際、保存期間終了の書類はほとんど処分しているので、本件拾得物事件関係書類は現存していない》

 吉原市は事件後の1966年に富士市と合併し、吉原警察署も富士警察署に併合された。この際に「廃棄処分した」というのだがどうだか。古い事件の関係の書類ならともかく、起きたばかりの大事件に絡む可能性のある重要資料なら、表にしないまでも警察が廃棄するだろうか。

「黒革財布」は一審の静岡地裁でも全く取り上げられなかった。斉藤弁護士とて、この黒革財布を知ったのは東京高裁での控訴審段階で、すでに事件から4年近く経っていた。彼は黒革財布について証人申請をしたが、東京高検に「本件とは関連性がない」と一蹴された。

 ひで子さんに「黒革の財布」について尋ねると、「当時の記憶は全くありませんね。だいぶ経ってからそういう落とし物のことがあったということは聞いたけど。真犯人が落とした財布だったのかは、私には全然わかりませんね」と振り返った。

 黒革財布の発見から2カ月後の9月になって、県警は強奪金については大半を、前回の連載(21回)で記述した、こがね味噌の元従業員で「巖さんと親密だった」と記者たちに吹聴した女性A子さんに預けたという、全く虚偽の話をでっち上げた。

 早くから「袴田巖が真犯人」と絞ってしまった捜査本部にとって、後から出る真相を窺わせる物証がそれを覆してはまずい。そこでそうした物証には故意に目をつむり、にぎり潰していった。「真犯人が奪った金の行方」にしても、「深い関係の女に預けた」とした方がメディアも飛びつきやすい。捜査本部は巧みに記者たちを誘導した。

 その存在だけですべてを洗い直すのが当然だった重大物証「黒革の財布」は、こうして早々に闇に葬られてしまった。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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