真犯人が落としたのか?現金でパンパンに膨らんだ「黒革の財布」の謎【袴田事件と世界一の姉】

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タンクの味噌すべてが反応するのではない

 さて、再検証のための実験において、検察の鑑定人が指摘するような実験の条件より実際の味噌タンクの方が大きいことはさほど問題ではない。「5点の衣類」に直近したごく限られた味噌だけが血痕に反応し、色の変化に影響するからだ。

 しかもタンクの中の味噌は、全く酸素も届かないほど深かったのではない。80キロほどの味噌でも、巨大なタンクの底で広がれば高さはわずかになる。事件直後の捜査では高さ40センチほどあったが、その後、タンクの中の味噌は減っていき、「5点の衣類」が発見された時には十数センチの高さだった。麻袋に入った「5点の衣類」にも、酸素は十分に届いただろう。

 8月1日は検察側の鑑定人が、5日は弁護側の鑑定人が証人尋問に立ち、ひで子さんが傍聴した3日間の証人尋問は終わった。

 西嶋勝彦弁護団長は、「11月上旬に静岡で裁判官が検察の実験を実際に見るそうです。次回の三者協議は9月26日。こちらは最終意見書をまとめる段取り」と話した。弁護団の仕事はほぼ終わり、差し戻し審もいよいよ「ヤマ場」に入る。

バスで発見された「黒革の財布」

 時計の針を半世紀前に戻す。袴田事件の謎の1つが「黒革の財布」である。

 かつて静岡県清水市の東に吉原市があった。江戸時代の東海道吉原宿から発展した町である。現在は富士市の一部だ。

 こがね味噌の大事件から3週間近く経った1966年7月19日(12日説もある)の午前7時45分頃、国鉄・吉原駅に富士急バスが到着した。ワンマンバスだ。昔の路線バスには、運転手の他に車内で集金や行き先を案内するする車掌が乗っていた。ワンマンバスは女性の深夜労働禁止で大阪市が1950年代に導入したのが最初だが、合理化で1960年代から全国的に普及した。

 富士急バスはここから吉原市駅(現・吉原中央駅)へ折り返す。最初に乗り込んだ21歳の男性は一番後ろの座席に向かった。

「あれっ」

 座ろうとすると座席の上に黒革の二つ折りの財布が見つかった。パンパンに膨らんでいて相当の札束が入っているようだったが、男性は開かずに運転手に渡した。その際、自分の住所と氏名を告げた。

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