有事になれば戦争に喜んで協力する日本人 コロナ禍で明らかになった従順さ(古市憲寿)

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 77年。1868年の明治維新から、1945年の敗戦までの長さである。そして日本はもうすぐ敗戦から77年を迎える。

 77年といえば、社会を生きる人間が、そっくり入れ替わるくらいの期間だ。平均寿命の延びた現代でも、77年前に物心がついていて、その時のことを克明に覚えている人は、決して多くない。

 社会が一回りする期間と言えばいいのだろうか。「戦時下の日本」と聞けば、かつてはアジア太平洋戦争のことを指していたが、最近では近未来に起こりうる戦争を想起してしまう。

 海洋国家である日本は、自分から他国を侵略するようなまねをしない限り、大きな戦争に巻き込まれるリスクは低い。それでも台湾や北朝鮮有事の際には人ごとではいられないし、歴史上何度も「まさか」が重なって戦争が起こってきた。

 昔から「もし尖閣が侵略されたら」「北朝鮮の核ミサイルが着弾したら」といった、軍事上のシミュレーションはマスコミでもよく見かけた。しかし戦争に社会がどう反応するのかは、この2年間で、非常にイメージしやすくなったように思う。

 新型コロナウイルス騒動を見る限り、ひとたび有事になれば、日本の大多数は喜んで戦争に協力するのだろう。そして戦争に非協力的で、自由を貫こうとする人を、非国民とバッシングするのだろう。

 お決まりの戦争批判に「徴兵反対」というものがあったが、現代日本に徴兵制など敷く必要がないことが、コロナ騒ぎでよくわかった。自主的な「協力」を求めるだけで、進んで従軍してくれる若者は大勢いるだろう(その規模の総力戦が起こることは想定しにくいけれど)。

 国家による言論統制も必要ない。メディアやSNSには、自然と愛国的で好戦的な言葉が溢れるようになるのだろう。のらりくらりとバランスを取ろうとする政府に対して、「弱腰」「国民の命を守れ」という批判が殺到するはずだ。

 その結果、市民生活が困窮しても、きっと「自粛」要請だけで乗り切れる。ヤフーのバナー広告あたりでインフルエンサーが笑顔で戦争協力を訴えかける。行動自粛やワクチン接種を呼びかける政府広報を想像してもらえばいい。百貨店は目の敵にされ、有名人が楽しく旅行でもする写真をSNSにアップしようものなら、大炎上する。

 カリスマ的な指導者は必要ない。何なら「戦争」という言葉さえ使われないのかもしれない。「安心・安全のために協力をお願いします」といった曖昧な言葉で、事実上の戦争が進行する。

 77年前のアジア太平洋戦争を忘れないのは大事だと思うが、同時にあの戦争だけを「戦争」と考えるのは危険だ。東条英機がいなくても、治安維持法がなくても、戦争は起こるし、自由は弾圧される。

 今から77年後は2099年である。朝ドラでコロナ時代のドラマでも放送されているのか。それともNHKがもうないのか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年6月30日号掲載

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