56年前の「自白」音声テープを供述心理学の第一人者が読み解く【袴田事件と世界一の姉】

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 1966年6月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で起きた一家4人殺人放火事件で犯人とされ、死刑囚として半世紀近く囚われた袴田巖さん(86)の「世紀の冤罪」を問う連載「袴田事件と世界一の姉」の第18回。弟の自白の報を聞いた時、姉のひで子さんは何を思ったか。さらに、56年前の巖さんの「自白」を音声テープから供述心理学の第一人者が「嘘」を読み解く。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

自供に安堵する捜査員ら

 勾留限切れ間際の1966年9月6日、ついに巖さんは「自白」した。まず当時の報道を見よう。

《◆喜びにわく本部 続々、ねぎらいの電話

 袴田の自供は、先月十八日の逮捕からちょうど二十日目。最近にない凶悪事件だっただけに、七十人の捜査員が交代で寝泊りしていた横砂公会堂の捜査本部は、事件発生から六十九日目に、はじめて明るいふんい気に包まれていた。逮捕したものの、犯行否認でさらに難航していただけに、捜査員は、この日ばかりは“肩の荷がおりた”といった表情。

 夜になってテレビで袴田の自供を知った警察関係者からは、労をねぎらう電話が鳴り続け、応対に大わらわ。また、清水署員は「迷宮入りにならなくてすみそうだ」とうれしさを隠しきれなかった。
 (中略)

◆社長の通夜の席に 橋本さん宅に新たな涙

「袴田犯行の一部を自供」というニュースがテレビで流れた午後六時三十分ごろ、四人が殺された藤雄さん宅は事件当時のまま閉ざされていたが、約五十メートル離れた隠居部屋では、同日午前五時三十分、脳出血で死んだ藤作社長の通夜が行なわれていた。

 木造二階建ての隠居部屋には、あいつぐ悲報でかけつけた親類、工場関係者二十人がつめかけていたが、テレビをみながら「やっと自供した」と、新たな涙にむせんでいた。
 (中略)

 藤作さんが死んで祖母さよさん(六一)と二人きりになった長女昌子さん(一九)は「祖父が死ぬ前に自供してほしかった。それにしても死んだ人はもう帰ってきません」とうつむいたまま。また寝たきりだったさよさんもいたたまれずに、病床から起き上がり「七人家族が二人きりになってしまって……」と語っていた。

◆「無実信じていたが」 実家の兄姉、悲痛な表情

 袴田の実家では、姉ひで子さん(三三)や兄茂治さん(三八)らが、テレビのニュースで巌の一部自供を知り、興奮したおももちで、弁護士依頼の件などを相談しあっていたが、ひで子さんは「これまでの巌の態度などから無実を信じていましたが、本人がやったといったのなら、そうなのでしょう。これ以上はなにもいえません」と悲痛な表情で語っていた。なお、父庄一さん(六三)は中風で寝たきりで、母ともさん(六三)も、事件後ふさぎがちだといわれる。》(読売新聞9月7日朝刊)

揺らがなかった「信じた無実」

 紙面からは、ひで子さんが「弟は何か理由があって殺人をやってしまったのか」と思ったかのようにも受け止められる。だが、そうではない。

 当時の心情について、改めて電話で伺った。ひで子さんは「逮捕の後は新聞もニュースも見なかったけど、自白したというのはニュースで見た気がします。すぐに新聞記者が飛んできた。兄がいなかったので私が応対しました。自白していると記者が言うから『それならそうなのでしょう』と言っただけですよ。報道は全く信用していませんでしたから」と話した。

 巖さんが人殺しなどするはずがないという家族の信念は全く不変だった。

「巖が自白しているところを私たちが見たわけでもありません。新聞とかテレビが伝えているだけ。私たちは二俣事件とかを知っていますから、静岡県警はそんなこと(冤罪を作り出すこと)をするところだと思っていましたよ。ただ記者には余計なことは言わないと決め、『それならそうなのでしょう』という意味で言っただけですよ」と振り返った。要するに記事中の「そうなのでしょう」は、「お好きなようにお書きください」との意味で応対しただけのことだった。

「優しい性格の巖が自分を可愛がってくれていた専務を殺すはずなどない」という考えは、微塵も揺らいではいなかった。記事から受ける印象との乖離に改めて考えさせられる。仲の良かった姉と弟とはいえ、十数年離れて暮らしていたので「自分が知らない何かがあったのか」と思っても不思議はない。ひで子さんは冤罪被害者の支援集会などでよく「家族が信じなくてどうするんですか」と口にするが、実際は容易ではないはず。有名な冤罪事件でも家族が見放してしまうケースが多い中、弟を信じ続ける姉ら家族たちの絆には感動すら覚える。

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