「戦場にいない間、全てを忘れたい」と語るウクライナ兵 50日間現地取材した記者が明かす戦地のリアル

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「みんなもう慣れていますよ」

 キーウでは連日、時間を問わず空襲警報が鳴り響いた。皆が寝静まった未明でも容赦ない。そんな時、人々は慌てて避難所へ駆け込むのかと思いきや、日中なら意外にも街中を堂々と歩いている。

 私がキーウに滞在した約1カ月間で、中心部にミサイルが撃ち込まれたのは1回だけ。日時は4月28日夜8時過ぎ。現場は、私のホテルから車で西に10分ほど走った、地下鉄ルキアナフスカ駅の近くだった。

 この一報を受け、日本語教師を務める通訳のウクライナ人女性、リュバさん(28)に、

「キーウで爆発したんですか?」

 とメッセージを送ると、日本語でこう返ってきた。

「はい。友達の家の窓ガラスが割れたみたいです」

「ヤバいじゃん!」

「まあ、普通です。みんなもう慣れていますよ」

 動揺しているのは私だけだった。

 翌日、リュバさんと一緒に現場を訪れてみると、高層ビルの1階から3階部分までが大破していた。

 道路側の一面が全て吹き飛んで空洞化しており、鉄筋がぐにゃぐにゃに曲がっている。規制線の中にはまだ、警察官数人が残っていた。報道によると、このミサイル攻撃で、民間人1人が死亡、10人が負傷した。ロシア軍がキーウから撤退したとはいえ、ここでは確実に「戦争」が続いていた。

トイレに布団

 案内してくれたリュバさんは、キーウ中心部にある高層マンションに両親と3人暮らし。

「犬を2匹飼っているのと、お母さんが避難したくないと頑固なので、家族でキーウに留まっています」

 ロシア軍侵攻後の最初の10日間は、駐車場に停めている車の中で生活したが、やはり不便なので自宅の部屋へ戻った。

「攻撃された時に備えて窓ガラスから離れていないと危ないので、私と母、犬2匹はトイレに布団を敷いて寝ました。父は廊下です」

 そのマンションから200メートルほど離れた住宅街に、迎撃されたとみられるミサイルの残骸が落下、激突したことがあった。

「すかさず母親の上に覆いかぶさりました。お母さんは大丈夫そうでしたが、私は死を覚悟しました」

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