「戦場にいない間、全てを忘れたい」と語るウクライナ兵 50日間現地取材した記者が明かす戦地のリアル

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遺体の腹部や足が丸見え

 ブチャには結局、6回通った。そのうちの1回は、日本にいる時には想像すらしていなかった“戦地ツアー”なるものの一員として向かった。メディアセンターが主催するプレスツアーに参加したのだ。

 これは文字通り、破壊されたウクライナ各地をバスで回るというツアーで、同日は欧州のメディアを中心に100人以上の報道関係者が参加し、バス6台に分乗した。走行中、破壊された家々や戦車の残骸などを通り過ぎると皆、一眼レフのレンズを窓の外に向け、一斉にシャッターを切った。

 そんな一行がブチャで案内されたのは、聖アンドリー教会。裏手には、ロシア軍によって虐殺されたとみられる民間人の遺体が集団埋葬されていた。

 到着した時は雨が降っていた。規制線の向こうには、遺体が収容された黒い袋が十数体、ぬかるんだ土の上に無造作に並んでいる。しかも収容袋のファスナーが開いたままで、遺体の腹部や足などの部位が丸見えだ。

情報戦の現実

 間もなく、キーウ州警察のトップが報道陣の前に現れた。隣には英語の通訳者。

「ここに埋葬されている遺体は全部で40体。大半が民間人である。遺体には銃弾の痕が残っており、これはロシア軍による明らかなジェノサイドだ」

 会見が終わって間もなく、プレスツアーの担当者から「残り時間はあと5分ですよ!」と大声で言われ、報道陣はぞろぞろと歩いてバスに乗り込み、キーウの街へと戻った。

 後日、同じ現場にいた報道関係者から、

「最初はファスナーが開いていなかったんですよ」

 と聞かされ、衝撃を受けた。私は気付かなかったが、もしその言葉通りだとしたら、メディアの到着に合わせて、ウクライナ側が意図的に開けたことになる。つまりは“見せる”ためだ。被害の実態を大勢のメディアに見てもらい、世界中に伝えたいからだ。

 その思いの強さに、「情報戦」がもたらすもうひとつの現実を垣間見たような気がした。

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