終戦後、朝鮮人を利用して勢力を拡大した共産党 党史には書かれない“不都合な真実”

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

日本共産党との関係を清算

 その後、1953年に朝鮮戦争が休戦となると、翌年に北朝鮮の南日外相が、在日朝鮮人を「共和国の在外公民」とする声明を発表する。これにより朝鮮人共産主義者たちは、日本の内政に介入することができなくなり、日本共産党との関係を清算せざるを得なくなった。ここで朝連の後継組織だった民戦は解散することになり、1955年、共和国の在外公民団体として「在日本朝鮮人総聯合会」(総聯)が誕生する。その初代議長には、朝連の中核にいた韓徳銖が就いた。

 この時、朝連と日共を掛け持ちして運動を繰り広げた金天海や金斗鎔は北朝鮮に渡っていた。金斗鎔は1947年6月、金天海は1951年に渡北した。その動向はGHQが監視していた。米陸軍情報部は、6月24日、品川駅を出た金斗鎔が佐世保の南風崎駅に向かい、118名の同志と共に北朝鮮行きの船に乗ったことを記録している。北朝鮮の共産党とコミンフォルムのリエゾンをつくるためとされる。ただ、その後の彼らの行方は明らかでない。再び彼らが歴史に名前を刻むことはなかったのである。(敬称略。了)

近現代史検証研究会 東郷一馬

週刊新潮 2022年5月19日号掲載

短期集中連載「党史には出てこない不都合な真実 『共産党』再建資金に『朝鮮人徴用工』の未払い賃金」より

前へ 3 4 5 6 7 次へ

[7/7ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。