橋幸夫が語る「78歳での大学入学」 歌手引退の真意と西郷輝彦との思い出

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仲良し小よしの同期会ではない

 実はね、御三家というのは当初、舟木くん、西郷くん、そして僕のビクターの後輩・三田明くんの三人で売り出すはずだったんです。だけど、その時、私のマネージャーだった男が「ふざけるな!」と会社にねじ込んでひっくり返させた。私はそんなことはしなくていいと言ったんだけど、その年代でいえば、三人より私が年も上で、デビューも、売れっ子になったのも一番古い。だからマネージャーが「橋が一番先輩だから」と言って、私が兄貴分となって出来上がったのが御三家なんですよ。

 ですから、御三家といっても、確かに同じ時代を生きてきた仲間ではあるけれど、少なくとも私には仲良し小よしの「同期会」ではない、という意識が強いんです。私的な付き合いもほとんどありませんでした。

 それぞれの性格でいえば、先ほど述べたように、西郷くんは一番年下で、愛想は良いし、良い意味で軽くて、人に可愛がられるタイプだった。一方で、舟木くんはすごくライバル意識が強いタイプでしたね。楽屋に居てもひとり群れない感じで。ファンの方々も同じで、僕とか西郷くんのファンはそうでもないんだけど、舟木くんのファンは熱烈で、僕らが同時に出ても、彼だけを応援する方が多い。その辺りもそれぞれのキャラクターが出ていて面白いな、と思いますよ。

朝昼晩ホテルも一緒の生活

 三人はレコード会社も違っていてね。僕がビクター、舟木くんがコロムビア、西郷くんが一番後からできたクラウンレコード。芸の系統も、僕が股旅ものなのに対して、舟木くんは「高校三年生」で売り出したように学園もの、西郷くんは「星のフラメンコ」みたいな明るい曲。うまいことすみ分けができていました。

 ですから、彼らとは何十年と仕事場でしか会わなかった。だけど、2000年の話になるかな。業界の方から「三人で全国ツアーをやったらどうか」としきりに勧められてね。先ほどの僕のマネージャーなどは「いや、三人で行くのはしんどいですよ」と言っていたんですが、結局、みんなで全国行脚してみたんです。あの時は、朝昼晩ホテルも一緒ですし、舞台も一緒。楽しい思い出になりました。

 それにしても、西郷くんは僕より三つ四つ若いでしょ。まだやりたいことはあったはずなのに。本当に惜しいことをしましたよね……。

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