橋幸夫が語る「78歳での大学入学」 歌手引退の真意と西郷輝彦との思い出

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「この仕事を続ける意味があるのか」

 一昨年、芸能生活60周年を迎えて、年も80近くになった。このまま歌っていくことは、ますます肉体的にしんどくなっていきますし、体調が良くないと、仕事に向かう気持ちも整えにくくなる。声のことを含めて、それらが維持できなくなってまで、この仕事を続ける意味があるのか、と考え始めたのが決断のきっかけです。

 一方で、歌謡界の先輩方の中には、引退を明言せず、自然にいなくなってしまう、つまり「フェードアウト」する方もいます。それも自然でいいのかな、と思った時期もあるんですが、そういう場合、後々「今あの人はどうしている?」と世間の話題になってしまうことがありますよね。自分自身、その被写体になるのが嫌だったし、そうなると、ファンの方々が寂しがるじゃないですか。私の美学からいうと、それだったらはっきりと引退を発表した方がいい。そう思いました。

 それに、「歌」を巡る世の状況がどんどん変わっていますよね。まず「のれん街」がない。飲み屋はありますが、現代風になっていて、「おい、一杯飲んで歌おうや」という雰囲気はなくなってしまっています。また、ラブソングも、夢のある歌も溢れていますが、それらのうちどれくらいが現実と結びついているのか。加えて、このコロナ禍で、そもそも人が集まることすら難しくなっている。歌を生業とする身としてはあまりに厳しい現実です。そんなこともあり、歌うことへの執着というものが次第に弱まってきました。

残りの人生をどう生きるか

 でも、引退を発表した時の反響はすごかったんですよ。そのほとんどは「もっと頑張ってください」「歌えなくなるまでやってください」というもの。友人のさだまさしさんにも「死ぬまでやってほしい」と引き留められたんです。それはそれで嬉しいことだけど、もうやることはやり尽くした。年も取ってきたし、こんな時代だから……と気持ちを伝えたら、「そうですよね。わかりました」と言ってくれましたよ。

 それに、声以外はまだどこかが駄目になったというわけではない。コロナ禍で仕事がキャンセルになる中、残りの人生をどう生きるかということも考えました。そこでもう一回、夢を見られるようなことを見つけたんですよ。だから、これからはそちらにチャレンジしていこうと。

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