橋幸夫が語る「78歳での大学入学」 歌手引退の真意と西郷輝彦との思い出

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恋文を書くにも…

〈そう語る橋だが、彼が舟木や西郷と異なるのは、キャリアの途中でレコード会社の副社長になるなど、実業家として苦労した経験を持つこと。また、認知症になった実母の介護経験や、元妻との亀裂など、実体験を赤裸々に描いたエッセイで大きな反響を浴びたこともある。

 俳優としても数多くの映画やドラマに出演するなど、芸能界の荒波を乗り越えてきたが、そんな橋にして、近年は世相が大きく変わってきた――と語る。〉

 特に平成に入ってからは、歌謡界だけではなく、世の中を何でも新しいものに変えなきゃいけないという風潮が定着していますよね。それは良い面はすごくありますけど、でも、失っていくものもあるだろう、と思います。

 歌でいえば、戦後の歌謡曲は大戦に敗れ、国が焼け野原となったところから始まった。そこに歌の力がよみがえったんです。敗戦を契機にさまざまなものが変化していく中で、変わらぬ人の心、世の情感を見つめ直し、それが歌になった。

引退の大きな理由

 ところが平成の時代になると、極端に日本が急ぎ足になってしまったように思います。古いものはすべてダメで、郷愁というものが消えてしまい、過去を振り返るとか、もう一度見つめ直すという営みがなくなってしまったのではないか、と。

 また、世の中が便利になり過ぎた代わりに、情緒も消えてしまいました。例えば、昔は恋文一つ書くにしても、文房具屋に行って便箋を買い、万年筆で何度も何度も書き直しては郵便局に向かい、胸を高鳴らせながらポストに投函した。不便ですが、絵になる光景があったんです。今はポストどころか、手紙そのものを書かない。みんなメールかLINEでヒョイ、でしょ。それで失うものもあるんです。テンポが速い、スピードが速いのは悪いことではないし、スマホのようにいつでも何でも調べられるのは“進歩”ではあるけれど、世の中や人の情を破壊しているという気はします。

 そんなことを感じていたところに、コロナ禍で業界自体もバラバラになってしまった。それが突き詰めれば引退の大きな理由のひとつです。これなら、早く辞めるという選択もあるのではないか、と思って……。

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