橋幸夫が語る「78歳での大学入学」 歌手引退の真意と西郷輝彦との思い出

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高校2年生でデビュー

〈その「第二の人生」については後ほど語ってもらうとして、ここで橋の人生を振り返っておく。

 橋は1943年、東京・荒川区の呉服店に生まれた。9人きょうだいの末っ子としてヤンチャに育った彼を、母は「非行対策」として歌謡曲教室に通わせる。教室の主宰は遠藤実。没後、国民栄誉賞を受賞した名作曲家である。ここで才能を認められた橋は60年、17歳の高校2年時にビクターからデビュー。この時師事したのが、これも後に国民栄誉賞を受賞した吉田正だ。デビュー曲「潮来笠」はヒットし、2年後に吉永小百合とデュエットした「いつでも夢を」はレコード大賞を受賞した。その後も「霧氷」で2度目のレコード大賞を取り、人気ドラマの主題歌「子連れ狼」もヒットさせるなど、デビュー10年余りで日本のトップ歌手の一人へと上り詰めたのだ。

 そんな橋はご存じ「御三家」の一人である。60年代前半、共に10代でデビューし、スターとなった舟木一夫、西郷輝彦と橋の三人。彼らは良きライバルとして競い合い、一世を風靡した。

 この2月に西郷が死去し、改めてその存在を思い起こした向きも少なくないはずだが、その「戦友」について、橋はこう振り返る。〉

西郷輝彦との最後の会話

 訃報には驚きましたよ。彼ががんを公表する1年くらい前だったかな。「体調が悪い」ということを聞いていましたから、普段は僕からは電話することはなかったんだけど、「この頃、全然会わないなー」と連絡すると「いや、大丈夫ですよ。頑張っていまドラマをやっていますから」と。「歌を歌ってないじゃないか」と言うと、「歌はね、自分でも歌いたくないんで」。「頑張れよ」と言ったけど、それから1年くらい経ってがんを公表した。気にはなっていましたが、その後、会ったのも一昨年が最後になってしまいました。その時も西郷くんは僕には病気のことを全然言わなかったですね。御三家の中でも、彼が一番年下で、「テル、テル」と呼んでまるで弟のような存在だった。愛嬌があって、フットワークが軽くて、本当にいい奴だったんだけど、突然亡くなっちゃったのはびっくりしましたし、やっぱり寂しいですよ。

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