刃渡り12センチの「工作用クリ小刀」で4人も殺害できるのか【袴田事件と世界一の姉】

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検察の「証人テスト」

 こうした証言が法廷で採用されれば、検察の有罪立証はあっという間に崩れたはずだ。凶器に関する根本的なことが、どうして半世紀も経って出てくるのか。背景がある。

 高橋さんが法廷で証言すると決まると、検察官は「証人テスト」と称して、事前に証人に打ち合わせを求めて来る。裁判所など行ったこともない人は、法廷に立つというだけで緊張してしまい、事前に想定問答を与えてくれる検察に教えられたとおりに言えばいいと思ってしまう。「真実でなければ偽証罪に問われますよ」などと脅されれば、証言者は怖くて言われたとおりに証言するのだ。

 2003年、春の統一地方選で鹿児島県警が選挙違反をでっちあげた志布志事件でも、「証人テスト」が行なわれた。川畑幸夫さんが志布志署の取調室で浜田隆広警部補に足を掴まれて孫の名などを書いた紙を強引に踏まされた「踏み字事件」で、浜田警部補を「特別公務員暴行陵虐罪」で起訴したはずの検察官が、川畑さんに電話をかけてきた。川畑さんに対し「あれ言うな、これ言うな」とやたらに証言内容を指示していた電話の録音が残っている。川畑さんの妻・順子さんが「おかしい」と思い、咄嗟に録音していたのだ。

 証言者に対する「検察の証人工作」は昔から変わらない。

呼び捨て報道

 真夏の朝、報道陣に愛想を振りまいて任意出頭したはずが、そのまま逮捕された巖さん。マスコミでは完全に犯人扱いだ。

 逮捕翌日(1966年8月19日)の朝日新聞の見出しは、〈犯人やっぱり内部の者、清水の一家放火殺人事件〉、サブタイトルは〈まったく、関係ない なお平然、うそぶく袴田〉。そして〈葬儀にも参列 事件後の袴田 顔色も変えず〉とした記事を載せた。さらに〈油と血液が決めて手 苦心重ねた県警鑑識陣 50日ぶりに解決〉と警察を称賛する記事を展開した。

 毎日新聞は〈ぬぐえぬ遺族の悲しみ 清水の強殺放火 静かに祈る昌子さん 従業員は複雑な表情〉。さらに〈捜査員、ねばりの勝利 逮捕の朝、自信にはればれ〉。そして〈心臓病おして不眠の指揮〉と沢口清水署長を称えた。8月20日付の朝日新聞夕刊は〈袴田、きょう送検、いぜん「だんまり戦術」〉。

 当時の新聞やテレビの報道は容疑者段階で呼び捨てである。ちなみに、判決確定まで原則「推定無罪」のはずの被逮捕者を「呼び捨て」することに対して、1980年代後半から人権上の批判が高まり、報道機関が「容疑者」の呼称を付けるように改まったのは1989年12月である。それまではNHKのニュースでも呼び捨てだったのだ。現在、30代以下の若い人は、「呼び捨て時代」を知らないかもしれない。通信社の記者になって9年近くは、逮捕された人を当然のように呼び捨てにして記事を書いてきた筆者は、正直言うと、この変更に当時、違和感も持ったものだ。「容疑者なんていう変な呼称をつけようがつけまいが、犯人だと思う世間の印象は変わらないはずだ。つまらないことをするなあ」といった違和感である。しかし御存じのように、現在は定着している。

 弟が逮捕された頃の状況について、ひで子さんは「もう、ひどい報道でしたので、新聞もテレビも見ず、ラジオも聞かなかった。巖の逮捕で1カ月ほど会計事務所を休み、浜北の実家に戻っていましたが、母もショックで寝込んでしましました。兄たちとも、そういうニュースが母の目に留まらないように注意していましたよ」と振り返っている。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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