刃渡り12センチの「工作用クリ小刀」で4人も殺害できるのか【袴田事件と世界一の姉】

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傷口と合わないクリ小刀の形状

 事件から2日経った7月2日、捜査陣は仏壇の間で死んでいた次女・扶示子さんの足元に木工細工などで使うクリ小刀を発見した。柄の部分は完全に焼けて跡形もなかった。金属部分も相当擦り減っていて顕微鏡で見ても銘柄などはわからなかったが、静岡県警が電解研磨すると「安来鋼」「玉菊」という銘柄が浮かび出て、製造元は兵庫県小野市の井上熊吉商店と判明した。店を取材すれば当時のことが分かるかもしれないと思い調べたが、見当たらない。長谷川熊吉商店や井上製作所があり、電話したが無関係。市の商工会議所に訊くと「井上熊吉商店というデータがありません」とのことで、かなり昔に廃業したようだ。

 警察の調べでは、刃の部分は井上熊吉商店が兵庫県三木市の寺口小刀製作所に製造させたものだ。この会社も現在はなかった。小野市の算盤と三木市の刃物は全国的にも有名な特産であることは小学校時代、社会科の「兵庫のくらし」で覚えたが、商工会議所によると現在はホームセンターに卸す大手が業界を席巻し、多くの刃物業者が廃業したという。クリ小刀は、事件の年の3月に井上熊吉商店が沼津市など静岡県内の金物店に卸していたことがわかった。静岡県警は購入先として沼津市の菊光商店などを調べた。

 木製の鞘部分は、犯行時に巖さんが着ていたとされた雨合羽のポケットから出てきた。県警は、長さが14・8センチ、幅は3センチのこの鞘と、焼け跡から見つかったクリ小刀の刃が一致したとして、犯行時に巖さんが使った凶器と見なした。

 誰でも疑問に思うのは、全長17センチ、刃渡り12センチ、刃幅2・2センチという工作用の小さな刃物で、大人4人を短時間で刺殺できるのかということである。小刀には鍔(つば)もない。血糊で滑って、自らの手が刃物のほうにずれて、手を切ってしまう可能性も高い。一家4人をめった刺しにしながら、発見されたクリ小刀は、刃先が少し欠けていた程度だという。

 重要なのは、凶器と被害者の刺し傷、切り傷との一致だが、弁護団の調査では、例えば扶示子さんの胸の傷は、幅が1・38センチ。解剖結果のように胸椎(きょうつい)まで達する傷なら、クリ小刀の根本部分まで突き刺したことになる。だが、クリ小刀の根元部分の幅は2・7センチで、傷とまったく合わない。幅が細く長い刺身包丁のようなものでないとできない傷だ。1993年には日本大学の押田茂實教授(当時)が「凶器とされたクリ小刀では被害者の体の傷はできない」との鑑定書を出している。

屠場で働く剛毅な「活動家」の実験

 クリ小刀より遥かに剛健な日本刀でも、刃が骨にまで達してしまえばすぐに刃こぼれしてしまう。時代劇のように1人で何人もバッサバッサと斬り倒してゆくことなど、現実には不可能だといわれる。

「クリ小刀では4人の殺害は不可能」を実証した男がいる。「袴田巖さんの再審を求める会」の代表だった支援者の平野雄三さんだ。平野さんは東京・芝浦の食肉処理場に勤めていた時、職場にある豚を使ってクリ小刀で突き刺す実験を繰り返した。肋骨を切断したり貫いたりすることは不可能だった。無理に切断しようとしたら、ちゃちなクリ小刀は簡単に折れてしまった。クリ小刀は、刃の部分を柄に差し込んでいるだけで止め釘ひとつない。小中学校時代、筆者は工作好きでよく使ったが、刃がしょっちゅう抜けて差し直したものだ。骨を切断するような刺し方をした後に、柄を持って引き抜いて刃がついたままのはずがない。平野さんの重要な実験を録画した弁護団は、1994年に提訴した一次再審で証拠提出していた。

 2006年、平野さんは肝臓がんで急死してしまう。「袴田巖さんを支援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長は当時、ひで子さんも参列した葬儀の弔辞で「受話器の向こうに響く、あなたの野太い声、それも、もう聞くこともできません。私はまだまだあなたに聞かなくてはならないことがいっぱいあったのです」などと悼んだ。

 妻の君子さんに電話で伺った。

「私は当時、公文塾を経営していたので、雄三さんがやっていた袴田さん支援の活動には関われませんでしたが、彼はなんだか一生懸命にやっていましたね。雄三さんはちょっと自分の考えを押し通すような我が強い人で、袴田事件支援のきっかけになったはずの(東京都)東村山市の支援団体(無実の死刑囚・袴田巖さんを救う会=門間正輝代表)の門間さんたちとは喧嘩別れのようになってしまったようです。最終的に『袴田巖さんの再審を求める会』を立ち上げて、発刊物『さいしん』も一生懸命に発送したりもしていました。夫が亡くなってから、重要書類と書いた書類袋から『さいしん』の創刊号が出てきたりして、雄三さんはこんなことやってたんだと知りました」などと懐かしそうに話してくれた。

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