「在日本朝鮮人連盟」誕生の歴史 共産主義者が反共民族派の幹部を拘束・監禁

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資金流用問題

 その関係は人的交流のみならず、金銭にも及んだ。

「朝連準備委の反共民族派たちは、共産主義者たちのこのような動きを全然知らなかったが、彼らが朝連準備委の資金を減らし始めてから、その陰謀を知るようになった。朝連準備委では、運用資金を在日同胞たちの献金で充当していたが、共産主義者たちはこの浄財を政治犯釈放運動促進連盟に流用し、更に日本共産党の再建に利用した疑いがもたれた。最初このことに感づいて、資金を何処へ使用したのかと追求したところ、朝鮮人政治犯釈放のために使うのだと誤魔化した。しかし嘘が長く続くはずはなく、共産主義者たちの陰謀は発覚し、左右の対決が避けられなくなってきたのは十月初めの頃であった」(権逸・同前)

 政治犯釈放運動や10月10日の日本共産党幹部の出獄、彼らの歓迎会などをめぐって、「誰が歓迎会を主催するのか」「なぜ朝鮮人連盟の資金を使わなければならないのか」という議論が勃発したのだ。

 権逸と、金斗鎔ら共産主義者との対立は先鋭化していった。

「論争は金(斗鎔)が、朝連準備委は日本共産党と密接な関係を持たなければならない、と強弁したことから始まった。金は、今日の情勢下では、一つの国の問題は決してその国の意思だけで決定されることはない。周辺の国際関係によって決まる。今の世界の趨勢は進歩的民主主義(共産主義)を指向している。だから、在日朝鮮人は日本共産党の発展に寄与し、その指示に従わなければならない、と強弁した」(権逸・同前)

共産主義者と朝鮮人の対立が

 これに対し権逸は「このような論理は共産主義者たちの世界観から出てきたものでしかない」と反論し、次のように語っている。

「共産主義者たちが在日同胞の貴重な浄財を日本共産党のため流用していることを、おそまきながら知った反共陣営の私たちは、そのような策動を阻止することで意見の一致をみた。もっとも意見が強硬であったのは趙得聖委員長と康慶玉地方部長であった。日本共産党員が出獄するのに、どうして日本人でもない朝鮮人が歓迎会をしなければならないのか。私たちはこのように頑強な態度で相対し、両者は正面から衝突せざるを得なかった」(権逸・同前)

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