「在日本朝鮮人連盟」誕生の歴史 共産主義者が反共民族派の幹部を拘束・監禁

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朝鮮人連盟と共産党、両者が勢力を拡大

 こうして「在日本朝鮮人連盟」は急速に拡大していった。戦後も日本に在留する決意をした64万7千人の朝鮮人が、共産革命の何たるかをどれほど理解していたのかはわからない。だが、終戦からわずか2年後の1947年7月には、日本在留を決めた朝鮮人と、帰還後に再び朝鮮半島から戻ってきた朝鮮人を合わせて、61万4198人が在日本朝鮮人連盟に加入している。支部は全国632カ所に及んだ。

 一方、日本共産党の地方組織は在日本朝鮮人連盟を母体として整備され、軌を一にして拡大していく。

「第四回大会当時千八十三名だった党員数が三ヵ月で七倍近くに増大して、この(第五回)大会では、正式に報告のあったものだけでも六千八百四十七名(実際は七千五百名と推定)になり、「赤旗」(当時五日刊)の発行部数も二十五、六万をこえたと発表された」(『日本共産党の五十年』日本共産党中央委員会出版局)

 両者の勢いはとどまる所を知らなかった。

(敬称略)

近現代史検証研究会 東郷一馬

週刊新潮 2022年3月31日号掲載

短期集中連載「党史には出てこない不都合な真実 『共産党』再建資金に『朝鮮人徴用工』の未払い賃金」より

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